ムハマド・ユヌス氏によるマイクロクレジットの講演から学んだことの一つは「雇用」という概念だ。ユヌス氏が強調したのは「バングラデシュには雇用がない」ということだった。バングラデシュの人々は、雇用がないから生活の糧を得るために自ら機織りをしたり、ニワトリを飼って卵を産ましたりしなければならない。つまり生活をするために「自営」の”事業”をまず考えることからはじめなければならないのだ。
 いま大学生は来年3月の卒業に向けて就職活動に必死である。家業を継ぐ覚悟をした少数の学生以外はすべて「他力本願」である。定年を控えた中高年齢層もまた、60歳以降の「雇用してくれる先」を捜している。同じく他力本願で、誰もなりわいを自ら創出するなど考えもしない。
 以前、台湾・香港・大陸に長年住んだ友人が中国人の商売について語っていたことを思い出した。「誰もがまず露天商から始まり、小金を貯めて屋台を引く。屋台で成功した人が初めて店舗を借り、人を雇って事業を拡大する」。あまりにも当たり前の話に当時は「それがどうした」といった認識でしか受け止めていなかったが、これは重要なことなのだといまさらながら気付いた。
 考えてみれば農業などの第一次産業を糧としている人たちはみんな「自営」である。つまり農民がほどんどたっだ時代はみんな「自営」だったから、「雇用」などという概念はなかった。商店で働くには丁稚、物作りの場合は弟子として職に就いた。まずは住み込みで食べさせてもらえるだけで感謝しなければならなかった。雇用のない時代に「雇用契約」などももちろんない。丁稚や弟子たちは叱られようが、殴られようが、我慢するしかなかった。
 昨年あたりから「貧困」が社会を描くテーマとなった。その場合は常に「働く場を失われた」といった表現が枕ことばとなる。本来、人間は自ら働く場を創出してきたのではなかったのか。そんな疑問がふと頭をよぎるようになった。いまではよぎるどころではない。頭をほぼ占領している。
 会社勤めも残すところ2年となったいま、このまま「再雇用」を選択しないのならば、今のところ屋台を引くことしか考えられない。このまま他力本願を続けるしかないのか心が千々に乱れる。少なくとも屋台を引く覚悟だけはもって後2年を過ごしたい。(伴武澄)