JALも7月から羽田―香港間に週2便の定期チャーター便を飛ばすのだというニュースが最近報じられた。4月からANAがスタートしたばかり。韓国の金浦空港、中国上海の虹橋空港に続いて3カ所目で、「定期チャーター便」という名称はすっかり日本語として定着した。
 安売りチケット市場では、運賃は成田発より高めだが、便利な分、人気である。いいことづくめのようであるが、日本語が滅茶苦茶である。
 チャーターは「船・飛行機・バスなどを借り切ること」である。そもそも「定期便」と正反対の概念であるのに「定期チャーター便」はおかしい。
 また「チャーター便」は誰かが違う人や会社から「借りる」行為である。航空会社が自らの機体をチャーターするという表現は本来ありえない。
 ただ旧運輸省がつくった「国際線は成田、羽田は国内線」という憲法があるかぎり、他の表現はありえない。
 おかしいのはおかしいと知っていて、日本全体として受け入れている点である。直そうともしない。
 成田開港から、30年。建設計画はそのずっと前のことである。東京国際空港の開設の提言は1964年だった。現在の半分以上の日本人は生まれてもいない 大昔である。成田はその初期計画すらまだ完成に到っていないのだから、もはや”計画破綻”といっていい。計画は単についていまさら論じても空しいだけである。
 日本の航空を取り巻く環境がまったく変わってしまっているのに、破綻した計画のための憲法だけが生き残っているということである。問題はいつまでもその憲法を振りかざす利権集団が日本を牛耳っていることである。
 口ばかりの改革論者が生き残っている時代である。羽田―金浦便が誕生したとき、とりあえず「定期チャーター便」で行こう」とだれから決めたはずである。臨時・暫定主義者とでも呼びたい。

 1978年 成田に新東京国際空港が開港、羽田は名目上国内線専用の空港となった 
     台湾の中華航空だけは羽田に残った。中国民航が発着する成田で「青天白日  旗」が翻らないための措置である。
 2002年 早朝深夜枠を利用したグアムやアジア各国へのチャーター便の運行が始まる。
       成田のB滑走路の供用開始で、中華航空とエバエアーは成田発着となる。
       サッカーワールドカップ日韓大会で、羽田―金浦チャーター便が発着。
 2003年 羽田―金浦に「定期チャーター便」航路が開設された。
 2007年 羽田―虹橋でも「定期チャーター便」航路が開設。