今年のサクラにふたつの異変があった。一つは北海道の開花が4月にあったこと。去年より2週間も早い。20度 以上の気温が続いたせいなのだそうだ。もう一つは鹿児島の開花が遅れたこと。冬の寒さが足りなかったそうなのだ。植物の発芽や開花に冬の寒さが不可欠だと いう話は聞いたことがある。
 列島の北端と南端での異変である。片や早まり、片や遅れた。どういうことなのだろうか。温暖化の一言で片付けられることなのだろうか。
 地球温暖化の議論は20年前ごろから始まった。外務省でパリ・サミットを担当していた。サミットの議題として環境問題が取り上げられることは日経新聞の一面で知ることになる。つまり、抜かれたのだ。当時、「環境」という言葉自体が耳慣れなかった。
 ドイツ、シュツットガルトの森が隣国クラコフ発電所からの酸性雨で枯れてしまった。温暖化で水位が上がるとオランダが沈没する。そんなことからドイツやオランダで環境派の政党(みどりの党)が生まれ、議会で無視できない勢力に浮上している。
 そんな説明を聞いたがどうも腑に落ちない。温暖化という言葉はもっと違和感があった。それまで聞き知っていたのは反対の地球が冷え込んでいるという話だったからである。「どうして急に反対になるの」という疑問はいまも解けない。
 そのままサミットに入り、環境問題を放置すると経済成長を阻害しかねないという観点から環境問題への対応が必要とする項目がサミット合意に盛り込まれた。途上国は先進国が享受してきた経済成長の結果であって、その責任を途上国にまでとらせるのかなどと一斉に反発した。
 約10年たった1997年12月、京都で第3回気候変動枠組条約締約国会議(地球温暖化防止京都会議、COP3)という会議が開かれ、温暖化防止のため の二酸化炭素削減目標が国ごとに定められた。いわゆる京都議定書である。その後、環境という言葉はあっという間にそれこそ地球規模で拡散し、政治用語とし てもいまや小学生でも知るところとなった。
 そうなのだ。環境を語らない議員はたぶん選挙にも通らない。これは先進国だけでなく、途上国でも同じである。
 環境という言葉には魔術がある。この言葉には反対できない大きな要素があるからだ。環境が悪いのではないが、地球規模で同じ標語を掲げる傾向にはついて行けない。そんな思いがずっと続いている。