飛鳥大仏、1400年の重み
日本のお寺で一番古い飛鳥寺の本尊、飛鳥大仏(金銅丈六釈迦如来像)の開眼1400年を記念した供養が8日行われた。
飛鳥大仏 歴史見つめ1400年-飛鳥寺で慶讃法要 【奈良新聞】
興福寺博物館にある旧山田寺講堂本尊の「興福寺仏頭」と ともに、日本最古の仏像に属する。筆者が初めて一人旅して拝んだ仏像としてその後も折りに触れて何度も尊顔を拝してきた。
1400年前ということは、飛鳥寺が創建されたのは西暦609年ということになる。4月8日に開眼供養があったとされる。推古天皇の時代、604 年。まだ朝廷に年号はなかったから、推古17年。前年に聖徳太子が摂政となり、十七カ条の憲法が制定され、607年には小野妹子が遣隋使として派遣され た。日本国家の黎明期である。新しい国家づくりに仏教の教えが積極的に導入された時代でもある。
飛鳥。白鳳の仏像は威厳のある奈良時代の仏像と違って、どれも童顔である。技術的に荒削りだった時代でもあり、なんとも親しみがある。ヘレニズムの流れを受けた穏やかな笑みを浮かべたアルカイックスマイルがなんとも言えない。
この時代、仏像といえば青銅や金銅などで鋳造された。木造が主流となるのはずっと後のことである。日本で銅はまだ採掘されていなかったから、銅そのものも舶来品で、はるばる朝鮮半島から運ばれたはずである。貴重な素材でつくられた仏像はそれこそ大事にされたに違いない。
飛鳥大仏は大仏とはいっても、東大寺や鎌倉の大仏のように巨大ではない。小さな堂内にすっぽりおさまる丈六(2.75m)。渡来人の仏師、鞍作鳥(くら つくりのとり)の作と伝えられる。明治の言葉で言えば「お雇い外国人」となるのだろうが、国の枠組み意識が希薄だった時代でもあるからが、百済や新羅は現 在でいう”外国”ではなかったもかもしれない。
それにしても1400年は長い。源氏物語も古いがそれよりさらに400年前。いまから400年前といえば、徳川家康が幕府を開いた直後のことである。そんなことを考えると、簡単に1400年などとは言えない。
筆者が最初に訪れたのはたった36年前のことだが、日本はまだまだのんびりしていた。飛鳥寺からたんぼの中の入鹿首塚に出ると、れんげの花じゅうたんが一面に広がっていた。
ずっと同じ場所に、同じ飛鳥の大仏が座している。それだけで偉大なことではないか。