1.奇瑞自動車が2位
 1月の中国自動車販売で業界をわかせたのは、中国独自ブランドの奇瑞汽車が3万7207台と上海GMに次いで2位になったことである。中国の自動車販売はずっと海外勢が上位を占めていて、独自開発車は海外勢の後塵を拝していた。旧正月前の駆け込み需要とはいえ、外資ばかりの自動車産業の中で”純国産車”が上位に食い込んだことは中国自動車市場が新たな発展段階に達したことの証であるのかもしれない。
 奇瑞は1997年、安徽省と蕪湖市政府の出資によって設立された新しい企業。外資に依存しない自動車づくりを目指している。100以上あるとされる中国自動車メーカーの中で早くから低価格帯の乗用車で一定の存在感を示していた。
 ただ独自ブランドとはいってもエンジンは三菱製を搭載、デザイン面でも「QQ」「東方之子」(イースター)がGM大宇車と酷似しているなど内外からの批判も少なくない。GMからはデザイン盗用があると提訴されるなど経営姿勢も問われている。それにしても一昨年まで欄外、昨年7位だった奇瑞の躍進は目覚ましいものがあり、大衆車「QQ]をクライスラーに供給するといった提携話も浮上している。
 もう一つのニュースは2006年の中国の自動車販売が日本を抜いて世界第二位の自動車市場に浮上したことである。
 2006年の生産、販売はそれぞれ727万台(30%増)、721万台(25%増)。うち乗用車は523万台(33%増)、517万台(30%増)だった。生産台数では日本が1100万台を上回っておりまだ差があるが、中国の生産台数はこのところ毎年30%前後の伸びを示しているため、このまま推移すれば数年内に生産台数でも世界2位の座を確保するのは間違いない。
 05年の販売は576万台で、日本の585万台に届かなかったが、06年日本の販売台数が約2%減の573万台だったから、一気に日本の1.3倍の販売市場にのし上がったことになる。700万台という水準はドイツとフランスの合計とほぼ同じ。
 中国の自動車産業はいまだに外資依存であることは確かだが、いずれアメリカを追い抜くことは間違いない。一部では2020年に1500万台という見通しも出ているが、この見通しはかなり過小評価的数値でしかない。いまは合弁という形で経営しているがいずれ民族資本化する時代もやってこよう。世界の大手メーカーは今後、中国の産業政策に大いに振り回されることになりそうだ。

 2.中国の伝統的自動車産業
 中国の自動車産業は1956年、ソ連の支援で長春に立ち上げた第一汽車製造廠が先駆け、「解放」という名のトラックをつくり、やがて党幹部用の「紅旗」が誕生した。上海汽車はソ連の中型セダンボルガをモデルにした「上海」を製造した。多くの都市で自動車が製造されたため、車名には「北京ジープ」など都市名がつけられた。78年の改革開放まではほとんどモデルチェンジもなく、トラックを中心に年間10万台程度の生産が続いていた。
 改革開放前後の市場は大手は第一汽車、上海汽車、東風汽車(バス)、北京汽車(ジープ)の4社のほぼ寡占状態だった。日本との経済交流が始まり、幹部用の乗用車はクラウンとセドリックばかりとなった。市民の足としてタクシーさえ使われなかった時代である。
 80年代にはいると、外資導入のため外国人を迎える必要があり、自動車の需要が格段に広がった。ポンコツの上海に乗せるわけにはいかなかった。外国のお客さまが市内を観光するのに大量のタクシーも必要となった。そんな時代に、1983年、AGMは北京でジープ生産を始め、ダイハツ(天津)とフォルクスワーゲン(上海)が中国で自動車生産を開始した。主にタクシー向けの需要だった。幹部は相変わらずクラウンとセドリックを愛用していた。
 フォルクスワーゲンが上海に進出したのは1986年。アメリカにあった工場が地球を一周して日本の裏庭にやってきたとも、日産で製造していたサンタナの中古ラインともいわれた。ダイハツは1000ccのシャレードという車を淡々とノックダウン製造していた。その後、シトロエン(武漢)やプジョー(広州)といったフランス勢も中国進出を果たした。

 3.三大三小二微政策
 94年7月に公布した自動車工業産業政策は中国の自動車産業を確立するため、外資に本格依存することを決めた。江沢民政権はGMやトヨタなど日米のトップ企業を排除して、ヨーロッパのメーカーに協力を仰ぐことになった。「大」は上海汽車、第一汽車とそれぞれに合弁を持っていたフォルクスワーゲンと東風汽車-シトロエンという組み合わせ。「小」は北京ジープとAMC,広州-プジョー、天津汽車-ダイハツ。「微」は軽自動車で長安鈴木、貴州航天-富士重工。日欧米の大手メーカーが血眼になって進出を競ったが、結果的に見ると既存の合弁会社を大中小の三段階に棲み分けさせただけだった。
 中国の経済政策はあるようでない。ないようであるのである。せっかく「三大三小二微」という棲み分けを決めたにもかかわらず、98年にはGMの中国進出が認められた。江沢民総書記とクリントン前大統領の蜜月時代である。一方でプジョーが広州から撤退したため、ホンダが参入する余地が生まれた。
 トヨタは90年代前半から中国進出に意欲を示していたが、80年代後半に「中国にモータリゼーション時代がくるとは考えられない」という意味のことを言って中国側の逆鱗に触れたが、ついにダイハツの提携先だった天津汽車との合弁にこぎ着けた。三大三小二微政策はもはや風前のともしび。中国自動車産業はいつの間にか全面的門戸開放が始まった。

 4.マイカーブーム
 2002年、中国の自動車生産は商用車を中心に300万台の大台に乗せた。しかし乗用車のタクシーに需要が限られていたため、ようやく100万台に達する水準にとどまっていた。その乗用車が、その後の4年で5倍の500万台を超えたのだからすさまじい勢いと言わざるを得ない。誰も想像しえなかった中国のマイカーブームに火が付いたのである。トヨタ、日産、ホンダ、さらには韓国の現代も相次いで本格参入し、中国市場は世界の自動車メーカーが殺到する主戦場となっている。
 中国における自動車販売の急拡大はまさに中国経済が消費部門に火が付いた証拠でもある。それまで静観していた民族資本が胎動してきた時期と重なる。現在、中国には100社を超える自動車メーカーがある。主力は先に紹介した奇瑞汽車と吉利汽車(杭州市)。このところ相次いで新車をラインアップ、すでに途上国市場に輸出も開始している。奇瑞の尹同耀董事長は1月23日、「中東、東欧、南米に組立工場を建設する方針」を明らかにした。2月1日、フィアットと合弁の検討に入ったとも報道されている。
 中国の自動車企業は鼻息が荒い。今年に入って、第一汽車が身売り話が出ているクライスラーを買収するのではないかといううわさで持ちきりである。イギリスのMGローバーは2005年、すでに南京自動車に買収されており、あながち単なる風評ともいえない。中国第一汽車集団を民間企業と思ってはならない。なにしろ国営企業であるから資金は潤沢である。