2007年03月22日(木)京都葵の会世話人 吉田和弘
 私の生まれ育った処は、加茂川の上流あたり、三方を山に囲まれた風光明媚な土地です。子供の頃にはいたる所に田畑も見られ、農閑期には畑でボール遊びや凧揚げ、雪が降ると鎌倉を作った覚えも有ります。夏になると加茂川や上賀茂神社〔賀茂別雷神社〕へも母に連れられよく行きました。神社の境内の「ならの小川」と呼ばれる辺りでは5、6歳位まで水遊びをしていた記憶が在り、母も風情が有ったものだと今に成って感謝しています。
 今も朝早く目が覚めると、加茂川から上賀茂神社へと散歩に出かけます、境内では早朝より神職さま達が国旗を掲揚され、清掃やご奉仕に励まれるのを拝見し本殿から順々に参ります、そしてならの小川では覆いかぶさる様な木々からは「気」をいただきます。
 上賀茂神社では毎朝、1300年以上絶える事無く、五穀豊穣、世界平和のご祈祷がされていると聞きます。「風そよぐ ならの小川の夕暮れは みそぎぞ 夏のしるしなりける」。今も境内ではその昔あった夏の日を思い浮かべ、当時と変わらぬ時を感じる事が出来ます。
 私は縁あって15年程前より二葉葵を育てて来ました。春先には冬の間眠っていた葵がいっきに新芽を出し始め、驚くような力強さでハート型の葉が開いてきます。春には葉の下に隠れるようにピンク色の釣鐘型の花を咲かせます。この喜びは言葉では言い表せない程です。
 2005年秋に上賀茂神社の田中安比呂宮司様と出会い、神社の歴史、神様が降りられた「岩倉」と言う名の岩のお話、桂の小枝に葵を幾重にも編み合わせた蔓を奉り神様をお迎えしたお話等沢山のお話をうかがいました、その中で葵は、「あふひ」と書かれ「神様に出会える日」と聞きました。葵は昔、神社周辺でもごく普通に生えていた植物だったのが今では、中々自生しにくく成って来ていると聞き私達の手で50年、100年先を思い森や緑を復活する事が出来ればと考えるように成りました。
 明治神宮では建設当初、100年先の境内の環境を考え植樹されたと聞きます。アメリカのワシントンでは100年前に贈られた日本からの桜が町のいたるところで咲くと聞きます。
 叶うなら私達の手で上賀茂神社の二葉葵が、日本中の家庭や職場、学校、団体、地域へと、平和と自然の恵みの大切さのメッセージとして広めて行きたいと考えます。そして世界中の人々にも思いを届けられれば私達の子孫の時代には、世界中が平和で、山蒼く、水清らかで、心豊かな人々で溢れるように成っている事と願ってこの運動を創めました。どうかご理解を頂きご協力下されば幸いと考えます。

 二葉葵の里親と株分けのお願い
 京都の葵祭〔賀茂祭〕は1500年の歴史のある日本三勅祭の一つです。祭事にはアオイとカツラのかずら〔蔓〕を装って祭儀を行なったのが始まりと聞きます。
 例年5月15日に総勢500名の祭列の巡行が5時間程掛けて、御所―下鴨神社―上賀茂神社へと歩く厳かな祭りです。この時期に神社へ行くと立派な幾重にも編まれた蔓が奉納されているのを拝見出来ます。
 祭りには約7500株の葵が使われると聞きますが、昔は、京都市内の至るところで普通に葵が自生していたものが近年、北区 左京区の市街地でも見かけることが出来なくなって来ました、これは住宅環境の変化や地球温暖化が、永い年月を生き延びた二葉葵の育つ環境を奪ってしまったのではと考えます。
 私は二葉葵が好きで長年育てて居ましたので、この春より「二葉葵の里親と株分け」について上賀茂神社〔賀茂別雷神社〕の田中安比呂宮司さまとご相談し、心ある方々にご協力戴き上賀茂神社の〔葵の森〕の復活の手助けができればと考え、提案させていただきました。
 二葉葵を育てていただける方が在れば、ご紹介下さい。個人、職場、学校、団体等ご理解いただける方ならどなたでもご参加下さい。
 春から秋の間に葵を1株分けて預かっていただきます〔直径25-30センチの鉢に移して下さい〕、翌年の春から初夏にかけて株は増えていますのでその幾らかを神社に奉納いただき、残りの株の幾らかをご友人や心有る方々に1株お預け下さい。又その方も同じ要領で、翌年幾らかを神社に納め又ご友人等にも預けて下さい、直接神社に伺えない方はご紹介者に返していただき神社へ納めていただきますと、次々と葵の森の復活が進み、葵の輪、和が世界中に広がると考えます。どうかご賛同いただきご協力をお願い致します。
 葵の森の復活には、都市や緑の整備、土や水、空気の美化、地球温暖化の防止等、色々の問題が山積みされていると考えます。痛ましい事件、事故が多く起こる今、手を繋ぎ会う事で少しでも平和な世界が戻ると信じてこの「京都葵の会」を創りました。どなたでも参加いただけますのでどうぞ宜しくお願い致します。

 吉田さんにメール green72@hera.eonet.ne.jp