執筆者:美濃口 坦【ドイツ在住ジャーナリスト】

イラクで誘拐されて人質にされたよその国の人々のなかには殺された人々もいるのに、日本人の人質は運良く無事に解放された。ところが、主に欧米メディアの報道によると「日本国民大多数は帰国した彼らに冷たい視線を向けるだけでなく、、その一人のホームページの掲示板に『お前は日本の恥じ』と書き、、、(こうして)イラクでの囚われの身から解放されて帰国した人々にとって前より大きな苦痛がはじまった」(4月23日の付けのニューヨークタイムズ)とある。 私たちはこの異様な「人質パッシング」をどう考えたらいいのであろうか。
■サハラ砂漠の人質
ル・モンドのフランス人記者は「日本では人質は解放されるための費用を払わねばならない」と書き、解放された人質が解放コストを分担するのは日本だけのような印象をあたえた。でもこれは正しくない。というのは、昨年8月にイスラム過激グループの人質にされた14人のドイツ人も解放されてからそのためにかかった費用の一部を負担したからである。
彼らは「サハラ砂漠冒険旅行」といったツアー参加中に災難に遭った。当時、フィッシャー独外相をはじめ数々の担当官庁の役人が自国民の解放のためにアルジェリアやマリなどを訪問した。ドイツ政府は、解放された人質を迎いに特別機を出しただけでなく、身代金と仲介料として460万ユーロ(=約5億円)も払ったとされる。
この種の冒険ツアーの参加は安くない。どちらかというと高所得層に属する人々が自分の趣味でサハラ砂漠に出かけ、それと関連して政府に膨大なコストが発生した。納税者には貧しい人もいるので、当時ドイツ国民の多くは政府の支出を不公平と見なした。そのために政府は解放された人質にも2301ユーロ(邦貨で約30万円)を支払わせることに決定。いうまでもなくこの金額は発生コストのごく一部で象徴的金額である。 当時の新聞を読むと、高すぎるので分割払いを要求する人も、また「つかまっているあいだ助かるために自分が払おうと考えた金額と比べて請求金額が安い」とよろこぶ人もいた。
■国家の面子と「軍隊」
人命の尊重は国家が追求する幾つかの価値の一つで、自国民が人質になったときに何をするのがよいかはいつも同じでない。どんな決断をするかは、政府が他の価値との兼ね合いと状況に応じて判断することである。但し、一般に国家が一方的に誘拐者の要求に屈すべきでないとされている。その理由は一度脅かしに応じると同じことが起こるからとされる。
19世紀や20世紀前半ほどでないにしても国家には今でも面子があり、脅かしに屈することがこの面子にかかわる。去年の夏ドイツ政府は身代金を払ったが、仲介者・マリ共和国に対する「開発援助」という名目にしたのも、この面子のためである。
今回私に興味深かった点は、日本政府は自衛隊撤退要求を拒否し、日本の主要新聞の社説をはじめ多くの人々がこの政府の姿勢に賛成したことである。なぜそうなってしまったかを考えるために、私たちは日本が派遣したのが自衛隊員でなく水道管修理の技術者であり、日本人を拘束したイラク人がこの技術者団の帰国を要求したと想像してみるべきである。この場合、私たちはどう反応しただろうか。人質の人命尊重のために、また混乱状態のイラクで目的とした作業も進展しないことを考慮して技術者団の撤退をしてもよい思う人がもっとたくさん出たのではないのだろうか。
私たちは憲法九条を解釈し自衛隊を軍隊でないと思いながら同時に軍隊であると思う矛盾する思考作業を半世紀を続けてきた。自衛隊の撤退要求を断る決定に反対しなかったのは、あるいは賛成・反対の議論もあまりなかったのは、この奇妙な思考習慣と関係があるのではないのだろうか。軍隊の撤退となると技術者を撤収するよりはるかに国家の面子がかかってくる。私たちは、自分で気づかないまま自衛隊を軍隊と思い、自分のほうから遠慮して日本国家に面子を立てさせたのではないのだろうか。
もっと気になった点は、日本のメディアだけが日本人を拘束したグループを「犯人」呼ばわりしていたことである。これは東京の街頭で起こった誘拐事件でなく政治的行為で、米軍の攻撃でファルージャで約六百人(そのうち約450人の老人・女性や子ども)が死んだ事件がその前にあった。政治的側面は、事件を「卑劣な犯罪行為」と呼んだ途端、私たちの意識から欠落してしまうことになる。同時にこう呼ぶことは(米国の政治家のように)よその国も自国刑法が通用する自国領土と見なしていることにならないか。
■リアリティ・ショーと「自己責任」
今回イラクで人質になった日本人は18歳以上で判断力のある大人でイラクで最悪の場合何が自分に起こるか承知していたし、私たちも彼らが殺されても仕方がないと思っていた。だからこそ、今更自己責任を問題にする人々が私には理解できない。ちなみに、一年近く前サハラ砂漠でドイツ人が人質になったとき、彼らの不注意を批判する人はいても、自己責任を問う声などあがらなかった。
大人をつかまえて自己責任を問題にすることは子ども扱いにすることである。それでは、なぜ私たちはそんな理解に苦しむ衝動を駆られるようになってしまったのであろうか。その原因の一つはおそらく人質になった人々の家族に感情移入・自己同一化をさせる臨場感に溢れた日本での事件報道の在り方と無関係でないように思われる。
欧米にリアリティショーという番組があり、例えば応募者を外部の世界から隔離した住居に閉じ込め、彼らがケンカしたり恋愛関係に陥ったりするのを四六時中カメラで撮影し、のぞき趣味の視聴者に実況中継をする。 日本で暮らしていると気がつかないかもしれないが、日本のメディアの事件報道はこの種のリアリティショーに近いのではないのだろうか。私たちは、人質の家族と同じ部屋いるように錯覚し、(彼らが)人質の運命を心配したり政府の無策を憤慨したり、「ご支援を感謝」したり、また「ご迷惑をおかけした」ことを謝ったりしているのを眺めている。そのうちに、家族と同じ目線をとり「赤の他人」であったはずの人質と自分の距離が消えてしまって、そのあげく「子ども扱い」するようになったのではないのか。(「人質バッシング」は、この家族の視点を強制されることに対する反発と少し関係があるかもしれない。)
■得したのは日本政府
日本政府が人質になった人々から今回の事件で発生したコストの一部の負担を求めることは、彼らに「自己責任」を認め、「子ども扱い」にしないことであり、反対できないことのように私には思われる。この措置に反対している人々は、「人質バッシング」と関連づけて罰金のように見なしているからかもしれない。日本の政府関係者がそのようにとられる発言をしているとしたら、これは残念なことである。
日本政府は、人質事件で「自衛隊撤退要求」を断ることで国際社会で今一度「自衛隊が人道復興支援のためにイラクにいること」をアピールできた。次に、人質になった日本人が(サハラ砂漠を物好きにうろうろするドイツのバカンス客と異なり)NGO関係者やフリージャーナリストであったことも、日本政府のこのアピールに役立つ。この危険な時期での彼らのイラク入りは日本人がイラクに対して多大なる関心を抱きイラク国民に役立とうとしていることを印象づけ、政府の「自衛隊の人道復興支援」の主張に説得力をあたえることになったのではないのか。
日本政府は、この主張を理解してもらうために特使を派遣するなどしたが、外電の二、三行で片づけられるに過ぎなかった。ところが、今回の人質事件でこのメッセージが国際社会(特にアラブ諸国)の隅々に届いたことになる。
ドイツのサハラ砂漠人質事件は解決するまでドイツでは177日間も経過し多大なコストが発生した。反対に日本のほうは事件が長期化しないで政治家をヨルダンに派遣し日本大使館に「緊急対策本部」を立ち上げて、後は事件を記者会見で話題にする程度で済み、大きな支出がなかったように思われる。日本政府は、このことも、また自分の得になったことを考慮して、今回解放された人質からコスト負担を要求するなら、ドイツ政府請求額・2301ユーロ(30万円)より少なくすべきである。
■権威主義的な国家の復活
東京発の欧米メディアは、今回の「人質バッシング」を権威主義的な国家の復活と見なす。危険なイラクへ行くことの不注意や無思慮に対する批判は正当である。ところがこの批判がいつの間にか「御上に楯突く」ことに対する批判に変わってしまうのも、この不愉快な例である。不注意とか無思慮とか税金の無駄使いとかいうなら、自衛隊のイラク派兵についてもそういえないことはない。ところが、このような議論をすることが必ずしも容易でないとされる。
日本では、もうかなり前から自分と意見の異なる人を「反日」呼ばわりする人々が横行している。このような人々は自分で何を言っているかわかっていないのではないのだろうか。というのは、国内社会も国際社会も複雑で何が国益になるか判断するのも容易でない。それなのに自分だけが国益を代行していると思い込むことがオメデタイ証拠である。また反対意見者を「非国民」扱いしをしたら国会は与党ばかりの「大政翼賛会」で選挙の必要もなくなるので、これは選挙民を愚弄することである。
人質の家族が自衛隊の撤退を求めたが、その要求を断る論拠を挙げて議論すればいいので「バッシング」などする必要はないように思われる。
前世紀の七〇年代後半のドイツで(日本でいえば)経団連の会長というべき人がテロリストに誘拐された。本人もその家族も自国政府にテロリストの要求に従がうように求め、憲法裁判所に訴えた。当時大多数のドイツ国民は「テロリストの要求に応じない」自国政府の決断を支持したが、(日本のある閣僚のように、)家族に「迷惑をかけて申し訳なかったと謝罪しろ」と発言する人はいなかった。日本でも「親子の情」というので、昔なら私たちも似たように反応したのではないのだろうか。とすると、日本がいつの間にか「他人の行動に対する思慮・想像力を欠いた」社会に変貌してしまったことになる。