異質の北朝鮮の土を踏んで
執筆者:斎藤 祥男【大学教授】
昨年暮れの忘年会の案内に、「北朝鮮との国交正常化交渉で拉致の事実が明らかになり、その被害者が帰国したが、その中に中央大学の学生(当時)であった後輩の蓮池薫君が居た」旨が書かれていた。拉致被害者のことは、小泉首相が訪朝して当該事実が判明して以来、連日のように新聞・テレビ・ラジオはもとより、あらゆる週刊誌が競って報道してきたから、知らないものはない。巷間は喧喧諤諤(ケンケンガクガク)、北朝鮮の対応に対して議論百出、留まるところを知らずといった感さえある。
蓮池君を始めとする帰国者が、北朝鮮での実態生活を通して体験した事実や、現地事情について詳しく語ってくれれば、相当貴重な情報も得られる筈であるが、肉親の子供達を現地に残したままでは、その言動が残留の子供達や配偶者へ悪影響を与えてはならないという配慮から、彼らの口は堅く閉ざされている。しかしいつの日か、国際環境が好転し、肉親を日本に迎え入れた後で心の縛りが解けたならば、未知の国の体験を話して貰える時もくるであろう。
私はこれまでに3回、北朝鮮を訪問し、中朝国境・朝鮮ロシア国境地帯、羅津・先鋒、清津、平壌等に足を入れ、現地の相応の要人や官僚と「話し合い」をもった。北朝鮮へは相手国の相応の機関からの招待状がなければ入国できない。勿論渡航申請段階で充分身元調査が行われ、出発前に査証同様の許可証の入手は必要である。その意味ではまだまだ閉鎖的である。更に、最近の核開発疑惑の再発以来、排他的閉鎖性はいっそうひどくなってきている。
日本上空を経由するテポドンの突然発射、不審船問題、南北朝鮮軍の海上銃撃戦問題、日本人の拉致問題など、北朝鮮側の日韓米へ向けてのこれまでの不穏行動は枚挙に暇がない。それでいながら94年の核開発停止の米朝枠組み合意以来、人道援助の名において膨大な食糧支援と重油が毎年北朝鮮へ送られてきた。
今回の小泉・金正日会談でも拉致問題の解決と核開発の撤廃、そしてその後の経済交流の活発化は宣言されはしたが、北朝鮮政府は突如として核開発の再開を匂わせ、国際原子力機関派遣の査察員を国外退去させるに到った。世論はこの挙を北朝鮮の得意とする「水際外交」の一環というが、日本人には理解し難いかかる相矛盾する行動パターンは、かの国の建国以来の思想、国家体制、国民教育、経済運営システムと経済の現状など、歴史的推移を追って検討してみないと理解し難い問題である。
我々は、隣人に迷惑をかけて当然と思い、権利を侵害しても平気で、不愉快な嫌がらせをする人が隣に住んでいたら、もっと環境の良い場所へ移転して生活することができる。しかし、国の場合は国を移転するわけには行かない。出来うる選択は、相互理解を通じて共に不快感を排除して平穏に接する道を求めるしかない。それには「良し悪し」の選別の前に、上述したような基盤(ベース)を根拠として、まず相手を十分に知ること、別言すれば、自己の主張や思想と相反する場合でも、相手の立場に立って一度は考えてみる余裕を持つことである。違いが解らなければ相互のギャップを埋める糸口は掴めない。
我々はジャーナリズムの異常な発展により、あまりにも豊富な情報によって日夜洗脳されてはいないだろうか?一体どの情報が正確で、どれが不正確かを判断する根拠もなしに、或いは時間的余裕もなしに、重層的に同一・類似の情報が注入された場合、結果的に誤認することが起こりうる。
北朝鮮問題を分析する際には、自らの事実確認をベースに、内外から出来るだけ多くの知的情報を収集し、当該の事案を判断する時点における相手国の現状(内情)を、前記の基盤分析から得た知識を加味して判断することが望まれる。以下に参考として幾つかの事例を掲げて、情勢判断や交渉において日本人が注意すべき点や基本的認識の相違、ならびに独裁体制化による軍事・経済システムからくる考え方の違いを示してみよう。北朝鮮の名称:北朝鮮の正式名称は「朝鮮民主主義人民共和国」である。自尊心の非常に高い彼らに、現地で「北朝鮮」と言ってはならない。北朝鮮を指すときは「共和国」という。韓国を含む朝鮮半島全部が彼らの国土であると規定しているからだ。不快な印象を持たして始める交渉ごとは、決してうまくは進まない。日本はまだ敵国扱いである:朝鮮半島を併合した日本を朝鮮にとっての侵略者と規定し、戦後の建国へのバネとした。韓国と日本とは平和条約は締結されたが、北朝鮮と日本は未だに国交は回復されていない。幼児からの教育で、侵略者「日本」を徹底して植え付けてきた。戦前・戦後の対日補償要求は恨みから発し、日本から支援の食糧も、国民には為政者(金正日将軍様)の偉大な力の結果として配給されてきた。そこには日本への国民的感謝はない。日本人は食糧危機に喘ぐ北朝鮮人民への人道支援と受け止めてきた。幼年期の児童の将来目標:「どんな人間になりたいか?」と問われた幼児は、放映のテレビ映像でも「立派な軍人になって将軍様に忠誠を尽くしたい」と答えている。少年達は「将軍様を讃える歌」を歌いながら隊伍を組んで登下校する。恐るべき徹底教育だと感じる日本人は多いだろう。だが、昭和10年前後から第2次大戦にかけての日本でも、七五三のお宮参りに連れ出された男の子の「晴れ着」に、肩章を付けた陸海軍大将の正装の競演が如何に多かったことか。その幻影は、当時を知る年配者の脳裏に強く焼き付けられている。学校で正課の軍事教練では、日本でも軍歌を歌っての行進は青少年教育に取り入れられていた時代があったのだ。「敗戦前の日本と同じだ」と、嘗て訪朝した村山元首相は語ったが、北朝鮮は今、体制維持のためにそれを必要としている国なのである。金日成・正日父子像の昂揚:広場、公園、建造物、講堂や会議場、室内、駅や港湾施設、あらゆる所に金父子の肖像写真が掲げられている。人民の服には彼らのバッジが飾られている。金日成は建国の父であり、金正日は真正の後継者として国民の父として尊敬し、忠節を尽くすべき対象として位地付けられている。だが彼は大統領でもなく、君主でもない。共和国労働党の総書記であり、国防委員長である。別言すれば、全軍の最高実力者であり、同時に一党独裁国家の最高責任者を兼ねているわけである。しかしこの地位は、まだ神格化するまでに到っていない。
戦前の天皇は現人神(あらひとがみ)であり、一般国民は正視することは許されず、官公庁や学校の講堂に飾られた天皇の肖像写真は、場所によっては神棚同様に扉や幕で覆われ、式典などで開扉される時は、頭を下げて直視を許されなかった。「死を賭して」金将軍様に忠誠を誓う北朝鮮の人民を見て、侮蔑嘲笑すべきではない。そこまで徹底教育し、国体を維持している現状を率直に評価し、同時に、かかる体制が国際情勢の変化の波を受けて如何に変容するかも冷徹に見つめる必要がある。経済法制と運用:経済開発特別区設置を決めた時点において基本的法規は一応制定されたが、運用規定や細則などは充分に整っていない。実際に法規どおりに運用されるかどうかも問題であるが、規定がある以上は基準的役割を果たしている。外国企業との間に商事紛争が起きた場合、最終決着は、訴訟か仲裁か?因みに天災地変(Act of God)に関して列挙された項目(条件)以外の事故を、Act of Godによる原因と認定するのは誰か?
嘗てアラブの国と「神とは誰か」で争ったケースがある。「神はアラーである」とする相手に、「日本では八百諸神(やおよろずのかみ)がいて、神を特定出来ない」と反論して妥協した例がある。北朝鮮では「現人神」はいないが、最終決着者は最高権力者になる可能性が強い。国道建設は外資負担で:羅津から中朝国境までの幹線道路建設は、最も利用度が高くて利益を享受できるのは道路利用者である外国企業だから、建設は利用者負担で実施せよという。バイパスや高速道路ならともかく、幹線国道は国家がインフラとして建設すべきだが、この考え方では国土開発は進捗しないし、経済発展も望めない。だが、最低必要な幹線道路は軍人を含む一般人民の人力の大量投下によって進めている。競争原理の導入開始:社会主義経済は均等な配分に原点をおいてきたが、ピョンヤンの縫製工場では、能率給の導入を始めている。輸出用のアパレル製品の生産工場では、個人別生産量のグラフが掲げられ、出来高に応じて給料に差が出る能率給のシステムを採用して、効率化を図っている。国家としては資本主義経済を否定しつつも、対外競争力を求められる企業としては、資本主義市場原理の波を被らざるをえない。国際社会との接触を深めるに従い、経済自体が資本主義経済へと移行して行く。疲弊した国家経済を建て直し、発展への路線に乗せるためには、北朝鮮が中国のように社会主義市場経済という新方式へ手際よく転換しうるか否かに懸かっている。別言すれば中国の鄧小兵のような実力者が登場するか否かである。