ビリー・ジョエルが伝えた「地方」の雰囲気
執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】
いつも小気味いいコラムを四国新聞に書いている高松の明石安哲氏は地方紙においては珍しく視点を高いところに置いている。あえて地方都市にいて日本や世界のことを考えたいというのが口癖である。総選挙の投票を控えて少し前だが、ずっと気になっていたコラムを紹介したい。「アメリカの原動力は小さな町から」という内容だが、中央政府によるあめ玉をなめ続ける日本の地方に対する批判である。
米国で都会離れが始まったのは20年以上も前のことだ。そのころの人気歌手ビリー・ジョエルは、ヒット曲「マイライフ」でその雰囲気を伝えてくれた。今、米国の原動力はそんな小さな町だという。
地方分権の推進を背景に全国で市町村合併の動きが盛んだ。明治、昭和に続く「平成の大合併」。県内では大川郡で東部三町と西部五町がそれぞれ合併協議会を設立し、3、4年後をめどに新しい市を発足させるという。県内のほかの地域でも合併特例法を受け、動きが加速している。県都高松は周辺10町と50万都市を目指し、小豆、三豊などほとんどの地域で動きがある。このまま進めば、香川は10ほどの市だけで構成される県になる。
50年近く前の「昭和の大合併」でも香川の反応は顕著だったようだ。村という村が他村に後れをとってはならじと新町発足に参集し、気づいたら全国でも珍しい村のない県が誕生していた。それで何が変わっただろう。
「地方分権のためには市町行政の簡素化が大切」「規制緩和とグローバル・スタンダードで都市間競争が激化し、敗者になる」と聞かされると心配にはなる。しかし現代の合併論議の中から地域に住む人々のメリットは十分には見えてこない。
大きいことはいいことだ―というCMが共感を得た高度成長時代はもう遠い昔。大きくていいこともあれば悪いこともある。中央政府による特例措置というアメ玉につられ、無批判に合併を望んでも地域は活性化しない。
地域が元気になるには失われた連帯意識を取り戻すことが先決だろう。過去の大合併はいつもそれを台なしにして、中央から落ちてくるボタもちを望む無数の市町村を生み出した。ジョエルの曲で都会を捨てた友達はこう歌う。「君が何と言おうとかわまない。これが僕の人生さ」。(明石安哲)