執筆者:園田 義明【萬晩報通信員】

==国際決済銀行(BIS)年次報告=====================

世界経済は株式相場に支えられた米景気の過熱などの危険をはらんでいるものの、欧州、アジア諸国の景気回復で、成長見通しは80年代以来最も良好だ。
ただ日本は、構造改革が遅れており、家計の貯蓄過剰、消費抑制が景気の足を引っ張っている。99年後半の日本のマイナス成長について、構造問題に直面している証である。米経済と反対に個人消費が伸び悩み、貯蓄率が過去最高に達している点が「最大の問題」である。
高齢化社会を迎え、企業のリストラ、政府財政の悪化が、雇用や年金受給に対する不安を強めており、景気対策などの経済政策が消費者の信頼を強めるのに役立っていない。
消費低迷による需要落ち込みを穴埋めするため90年代に入って繰り返し実施されている政府の景気対策についても、回数を重ねるたびに投資が非効率化し、効果が薄れているのに加え、このままのペースで財政赤字拡大を続けることは不可能で、すでに限界に達している。

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■BIS=国際決済銀行

BIS(Bank for International Settlements=国際決済銀行)は、第一次世界大戦後のドイツ賠償問題処理のため1930年に設立された中央銀行をメンバーとする国際機関である。本部がスイス、バーゼルにあることからバーゼル・クラブとも呼ばれている。国際金融の世界では知らぬ者はいない。中央銀行間の協力促進のための場を提供しているほか、中銀からの預金の受入等の銀行業務も行なっており「中央銀行の中央銀行」として絶大な影響力を有している。

加盟先は97年4月末現在で41行で、日本銀行は51年に一時メンバーから外れたが70年には再加入しており、94年9月以降理事会メンバー(総裁がBIS理事)となっている。G10総裁会議が通常年9回行われているほか、同会議の下でユーロ委員会、バーゼル銀行監督委員会、支払・決済委員会等が活動を行っている。

この中でバーゼル銀行監督委員会は、日本にとって特に関係が深い。1975年にG10諸国の中央銀行総裁会議により設立された銀行監督当局の委員会である。同委員会は、ベルギー、カナダ、フランス、ドイツ、イタリア、日本、ルクセンブルグ、オランダ、スウェーデン、スイス、英国及び米国の銀行監督当局ならびに中央銀行の上席代表により構成される。現在の議長は、ニューヨーク連邦準備銀行のWilliam J. McDonough総裁である。委員会は通常、常設事務局が設けられているバーゼルの国際決済銀行において開催される。そして88年の決定が日本の運命に大きな影を投げかけた。

■BIS規制という怪物(1988)

1988年6月にスイスのバーゼルで開かれたバーゼル銀行監督委員会の決定が今日のBIS規制の発端となっている。その決定は「銀行の自己資本比率の国際統一基準」として「破綻する金融機関が増える中、国際業務に従事する金融機関には、それなりの自己資本を確保するべきだ」という議論のもと、国際業務を手掛ける金融機関は自己資本比率8%を達成しなければ成らないとの国際標準が決められた。規制の対象はG10に含まれる金融機関である。

アメリカ当局者自らも認めているように「日本の金融機関の弱体化」を目的にアメリカが中心となって標準化されたものである。事実、8%の呪縛が貸し渋りの元凶となり日本の金融機関は壊滅的な状況に陥り、遂には経済システム自体の崩壊に繋がることになる。

■連動していく国際基準(2000)

ロンドンに本部を置く国際会計基準委員会(IASC、本部ロンドン)は2000年5月22日、基準作りに大きな影響力を持つ「評議委員会」の委員長に、元米連邦準備理事会(FRB)議長のポール・ボルカー氏を迎えると発表した。

私のコラムの主役であるボルカー氏の登場である。このボルカー氏こそがBIS規制の生みの親でもある。そして注目すべきはこの評議会のメンバーにBISのゼネラル・マネージャーであるアンドリュー・クロケット氏も選任されている。

2000年4月に、バーゼル銀行監督委員会の議長を務めるニューヨーク連邦準備銀行のMcDonough総裁は、「バーゼル委員会は、国際的に会計実務を調和させるための努力を強く支持する。国際金融・銀行市場間における相互依存の度合いはますます強まっており、透明性や比較可能性の高い公表財務諸表が求められている。我々は、IASCにより設定された会計基準を支持し、この重要な分野における将来の進展を見守るためにIASCや銀行業界と緊密な対話を続けていくつもりである」と述べており、実質BISとIASCは連動していくことになろう。

日本からはなんとか三井物産副社長の福間年勝氏と、監査法人トーマツ前会長の田近耕次氏がIASC評議委員会のメンバーとなっているが、アメリカが主導していくことは間違いない。

■BISにおける終戦工作(1945)

1945年5月、BISにおいて終戦工作が行われていた。BISの理事を務めていた北村孝治朗氏と同為替部長の吉村侃氏は、駐スイス日本公使である加瀬俊一氏の了解を得て、懇意にしていたBIS経済顧問のスウェーデン人ベン・ヤコブソン氏を仲介に米英側と終戦工作に乗り出す。

ヤコブソン氏は、これを受けてアメリカCIAの前身であるOSSベルン支局に接触し、7月中旬にはドイツ・ウィースバーデンで後にCIA長官となるアレン・ダレス氏と直接会いその主旨を伝えた。

この動きとは別に同じスイスで駐スイス海軍武官、藤村義郎中佐も独自に終戦工作に乗り出していた。戦前から日本海軍の装備調達の仕事をしていたドイツ人フリードリヒ・ハック氏を仲介に立てアレン・ダレス氏の代理人ポール・ブルームを介して和平に向けた懸命な努力が行われた。

このふたつのルートは共に天皇性維持に固執したが、これに対してアレン・ダレス氏は柔軟な考えを示していた。むしろ、アメリカ側も沖縄戦で2万6000人の死傷者が出た為、早期終戦を優先にしていたのである。

当時、スイスだけではなくスウェーデン、バチカン、ポルトガルでも、日本の外交官や陸軍将官により、アメリカ側との終戦工作が行われていた。いずれも、日本政府からの公式の交渉委任権限を得ない自主的な行動だった。

日本政府は5月14日の「ソ連による和平仲介」の決定にこだわり続けていた。従って外務省、軍令部首脳ともスイスからの対米終戦工作に関して繰り返し送られてきた電報を事実上無視し続けた。当時アレン・ダレス氏とその兄で後に国務長官となるジョン・フォスター・ダレス氏のダレス兄弟は、欧州の外交界では有名であったが日本の外務省はダレスの名前すら知らなかった。従って当時の東郷茂徳外相ですらダレスを地名のダラスと思い込んでいたようだ。

「もう少し早くから、日本政府代表の権限を持った者が行動していたら、あの爆発(広島、長崎への原爆投下)は実行されていただろうか」。戦後アレン・ダレス氏はそう言い、終戦工作の失敗を悔しがったという。

■白票か棄権か(1945=2000)

BIS規制の8%という数値の正当性については議論が分かれるが、交渉過程で日本は、保有株式の含み益の45%を自己資本に組み入れることで妥協点を見い出し、合意に至った背景がある。最後までこだわり続けた日本の特殊性に対する過信が存在していたことも事実であり、戦略で負けたことも無視できない。

森首相は沖縄サミットに向けたレクチャーの際に『IT革命って何だッ』と見事な疑問を投げかけ、そのうち居眠りをしてしまったようである。何も変わっていない悲しい現実がある。

20世紀最後の総選挙である。本来であれば21世紀に向けたグランド・デザインを競い合う姿を期待したが、予測どおり近視眼的な論争に明け暮れている。

BISの年次報告にあるとおり、日本は危機的な状況に陥っている。居眠りしている時ではない。特にこの数年の間に少子高齢化問題が最大の課題となるはずだ。これは、外交問題評議会ピーターソン議長を中心としたアメリカインナーサークルの共通認識でもある。

「移民政策」の是非をめぐる議論を聴いてみたかった。結局何も学んでいないこの国の片隅で、私は、またしても、白票と棄権との間を彷徨い続けている。

【参考・引用】

◆NEW YORK FOREX DIARY? June 2000

http://netpassport-wc.netpassport.or.jp/~wmiimaiz/Jun2000.html

◆BANK FOR INTERNATIONAL SETTLEMENTS http://www.bis.org/

◆70th ANNUAL REPORT of the Bank for International Settlements PDF, 199 pages (1902882 bytes)

http://www.bis.org/wnew.htm

◆SHAPING IASC FOR THE FUTURE:IASC NOMINATING COMMITTEE SELECTS INITIAL TRUSTEES OF RESTRUCTURED IASC http://www.iasc.org.uk/news/cen8_095.htm

◆「秘密のファイル CIAの対日工作 上・下」(春名幹男:2000:共同通信社)

◆「BIS規制の嘘」(東谷 暁:1999:日刊工業新聞社)

◆「金融行政の敗因」(西村吉正:1999:文春新書)

◆その他多数

園田さんにメールはyoshigarden@mx4.ttcn.ne.jp