共同通信社大阪経済部次長伴 武澄

 「韓国史にとって日韓併合に次ぐ屈辱だ」-韓国経済が昨年末、IMFの管理下に入り、財閥卜ップがつぶやいた。400億ドルの緊急融資の見返りとして大規模な国内経済の構造改革を求められた。アメリカの影響下にあるIMFが主権の放棄を求めたに等しいというのがこの財閥トップの感慨だった。半年後の6月の日本で同様なことが起きると誰が想像できただろうか。
 日本の金融破綻は自らが蒔いたもので不良債権の早期処理を怠ったことが根元にあることは確かだが、急速な円安が危機を増幅した側面を見逃すことはできない。ここ20年、日本ほど為替に経済を揺さぶられた国はない。円高はバブルの崩壊直後から始まった。90年の1ドル=140円台から95年には80円台まで買われ、その後3年で140円にまで売られた。この間、国内経済はずつと巨額の不良似権に揺さぶられ続けてきた。国際金融資本はなぜ3年前に円高を止め、金融破綻が末期的症状を呈しているいま、なぜ円安基調を反転させようとしているのだろうか。

 二度目の敗戦と報じた香港の経済誌

 香港の有力経済週刊誌ファーイースタン・エコノミック・レビユーの7月2日号に「Big man in Tokyo」というショッキングな特集記事が掲載された。タキシード姿の昭和天皇とマッカーサー将軍が並んだ有名な写真と、サマーズ財務副長官と松本蔵相の写真が見開きの左右に配置され、記事は終始「二度目の敗戦」というトーンで貫かれている。
 この記事は、まず6月18日のサマーズ副長官の来日をマッカーサーの厚木到着になぞらえ、1ドル=146円まで下落した円に対して6月17日、アメリカが日本との協調介入に応じた背景に「対価」が支払われ、アメリカの指示による迅速な金融機関の処理と税制改革がその対価だったとする。
 韓国やタイと同様、日本もまた国家経営の根幹をなす金融政策をアメリカに委ねたという自覚が橋本政権にどの程度あるか不明だが、改革が遅れることになれば「市場から罰を受け
る」、つまり「円安を進める」というのが国際金融資本が示した強い意思表示である。円安は不良債権の処理をますます困難にし、確実にアジア通貨の津パイらる敵下落をもたらす。いまや円安は日本経済を覆いつくす暗雲となっている。

 アメリカ豹変のナゾ

 サマーズ副長官は来日時、政府自民党に対して破綻金融機関の早期処理の必要性を強調した。「協調介入の効果は二週間しかもたない」と脅したともされた。噂通り来日から2週間目の7月2日、政府自民党はブリッジバンク方式による破綻銀行処理スキームを発表した。日本にとって泥縄式に練られたスキームであることは間違いない。
 それにしてもアメリカの対日政策の変更には多くのナソが残る。まず度重なる日本政府の協調介入。要請にも関わらず、「為替は市場が決める」と首を縦に振らなかったルーピン財務長官が急きよ、協調介入にゴーサインを出し円安にストップをかけたことだ。サマーズ副長官の来日には、財務省の金融・財政問題担当者だけでなく、連邦制度理事会(FRB)のファーガソン理事、ニューヨーク連銀総裁マクドナー総裁ら、多くの金融専門家を伴った。なぜこれはどの金融のプロを東京に集結する必要があったのか。
 協調介入は、クリントン大統領の中国訪問を成功裏に持ち込む秘策だったといわれる。円安で悲鳴を上げていた中国に配慮することで政治的効果を上げることができたとの後講釈は成り立つものの、それだけのために金融専門家の大挙来日まで必要だったのだろうか。そもそも、こうした現役の専門家の来日スケジュールが急きょまとまったことすら不思議である。
 ことは単純でない。90年からの急激な円高で日本は国内産業の空洞化を迫られ、アジアへ
の投資が一巡したと思ったら、為替は円高から円安に転じていた。国際金融資本がアジアへの投資を開始し、日本の金融機関が追随した時には「高値つかみ」を余儀なくされて、今度は円安である。うがった見方をすれば国際金触資本はもう十分に円安でもうけたことを意味するのかもしれない。

 ブリッジバンク導人の布石を打っていたゴールドマンサックス

 アメリカ側には日本の金融政策を牛耳るためのアメリカの周到な準備があったはずたというのが筆者の推測である。通常国会が終了し、参院選までの間に生じる政治空白に乗じて一気に決着を図るというシナリオが見え隠れしていたからである。
 伏線は1カ月半前にあった。今回のブリッジバンク構想は宮沢元首相が6月23日の自民党の金融再生トータルプラン推進調査会で初めて言及したように受け止められているが、実はそうではない。6月2日、トータルプラン調夜会での会合にゲスト出席したゴールドマンサックス証券のデービット・アトキンソン氏が、メンバーを前にアメリカのS&L処理で整理信託公社(RTC)がブリッジバンクを導入した経緯を説明、日本の金融破綻でも同様のスキームの早期導入の必要性を強調していた。
 ブリッジバンクは破綻した銀行が持っている比較的ましな(いわゆる第二分類)貸出先を救済する役割を担う。つまり、銀行が破綻した際の貸出先の連鎖倒産を防ぐのが目的で、そうした債権をいったん国営のブリッジバンクに移して、一定の期聞を経て自立可能な銀行に引き継ぐものだ。
 そもそも自民党の調査会にアメリカ人が出人りすること自体が異例である。しかもアトキンソン氏は日本にあるゴールドマンサックス証券の調査室長の肩書きであるが、アメリカの国際金融資本の代表格であるゴールドマンサックスの実質的日本代表だ。
 アメリカの対日強硬論者として知られるルーピン財務長官はこのゴールドマンサックスのパートナーつまり主要株主であり、90年から2年間、同社の共同会長のひとりとして君臨してきた経歴を持つ。その子飼いの部下がアトキンソン氏であり、そのアトキンソン氏が自民党の金融政策の牙城に乗り込んできた意味合いはもっと深く検証されなくてはならない。

 岡際金融資本の化身と化した自民党
 最近、大手金融機関が嘆くのは、大蔵省の機能不全である。過剰接待をめぐる疑惑で逮捕者を出しただけではない。政策立案を担ってきたキーパーソンが相次いで霞ヶ関を去った。新設の金融監督庁長官に利権代表を送り込むこともできず、一時期「大蔵省の国内金融行政を担っているのは国際業務が主管の榊原英資国際金融局長(現財務官)だ」とも揶揄された。
 代わりに、金融破綻プロジェクトをリードしてきたのが自民党のトータルブラン調査会である。中心人物は保岡興治会長である。保岡氏こそが自民党内で早くからブリッジバンク構想を提唱してきた人物なのである。
 そして保岡氏の背後に見え隠れしていたのが、他ならぬアトキンソン氏なのである。保岡氏とアトキンソン氏の接点については不明な点が多いが、トータルプラン調査会で意見陳述を求めただけでなく、「日銀を中心にブリッジバンクを経営する」「早急な資産売却」など保岡氏の主張はアトキンソン氏がいくつかのメディアとのインタビューで語ってきた考え方とほとんど一致している。
 いつの間にか自民党が国際金融資本の化身と化していたといっても過言ではない。大蔵省の政治からの実質的パージが進む間に、いつのまにか国際金融資本、アメリカ政府、自民党の三位一体の政策立案構造が生まれていたといっていい。

 本格的激震がさらに日本円を揺さぶる
 「日本長期信用銀行の処置はあらかじめ日米間で了解事項になっていた」
 「ほかにも処理する金融機関として都銀低位行など複数の具体的な銀行名が上
がっていた」
 「処理するのは6行で、8月末がタイムリミット」-。
 日米の協調介人後、サマーズ氏が来日した。長銀の合併報道合戦など日本の金融業界はアメリカの対日圧力に揺さぶり続けられた。だが不思議なことにアメリカの意向で導入されたブリッジバンク方式は都銀には適用しないというのが7月2日以降の政府の公式兄解である。では日本売りをもたらした最大の要因である一部大手金座機関の不良債権処理はどこにいったのだろうか。
 まもなく日本の金融界に本格的激震がやってくるはずだ。そして日本の円は国際金融資本の手によってさらに揺さぶられるだろう。


伴武澄(ばんたけずみ)
 51年高知県生まれ。東京外国語
大学中国学科卒。共同通信社入
社。大阪支社経済部にて証券・エ
ネルギーなどを担当後、本社経済
部にて大蔵・外務省などを担当。
この間、中国・東南アジアなど移
動特派員を兼務。97年より大阪支
社経済部次長。98年よりインター
ネットコラム日刊「萬晩報」を発
刊。