執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】

1998年8月1日朝刊のトップニュースは堺屋太一経企庁長官の「経済見通し修正発言撤回」事件であるべきだった。 小渕内閣で唯一民間から選ばれた閣僚として「国民にうそをつかない行政」を第一声にしたことが7月31日夕刊で伝えられ、日本経済新聞は1面トップに掲げて歓迎した。それなのに半日後には「撤回発言」である。官僚の圧力がかかるなと思っていたらその通りになった。うそつき官僚の中に入ってせっかく勇気ある発言をしたのだから、官僚の抵抗にあったらその官僚を更迭するか自ら退くしかない。

「偽りの政府経済成長見通し」こそが日本経済ダッチロールの元凶

もし堺屋太一氏が官僚の抵抗を理由に組閣の翌日、即刻辞任していたら第一級のニュースである。マスコミは、そんなニュースを発信した堺屋氏の1日経企庁長官に大きな紙面を提供したはずだ。国民ももう一度堺屋氏に大きな拍手を送っていたに違いない。

官僚の意のままに動く堺屋氏の姿はもはや見たくないし、そんな経企庁長官を続けるのならば、サラリーマンの圧倒的支持を受けてきた「市井の物書き」として堺屋氏の生命ももはや終わりだ。 共同通信が配信したニュースに沿って2日間の堺屋氏の発言を追うと、就任直後の記者会見では「今日の経済状況を、正しく思惑を挟まず正確に伝える」「1998年度の1.9%という政府の経済成長見通しの実現は無理」「4-6月期の国内総生産(GDP)速報が出たら、それを元に成長率を検討したい」などと発言し、政府が昨年12月に決めた経済成長見通しを修正する方針を打ち出した。 実現不可能な見通しを元に経済運営はできないし、まさにこの「偽りの政府経済成長見通し」こそが、90年代の日本経済をダッチロールさせてきた元凶でもあっただけに堺屋氏の就任会見は専門家から好感をもって受け止められたのである。

経済成長見通しを年度途中で修正した例は過去にほとんど見当たらないし、修正作業は政府の税収見通しの変更につながり、大蔵省としては年度予算の見直しを不可欠にするだけになんとしても避けて通りたいのは分からないわけではない。

だがよく考えてみれば、税収が当初予想通り入りそうにないことが分かった段階で歳出の抑制は避けられないはずである。一般の家庭で来月から収入が減りそうだと分っていていままでの生活を続けるような人はいないだろう。 予定していた家族旅行をやめたり、大型消費財の購入計画を断念したりするのは当然のことである。国家だけが「当初計画だから」といって当てに出来ない収入を元に支出し続けていいのだろうか。まさに堺屋氏はこの点をついて「うそをつかない行政」を第一声にしたのではないのか。筆者も90年代に続けてきた「偽りの政府経済成長見通し」からの脱却という英断に拍手を送ったのだ。

金融監督庁が緊急発表した目くらましのニュース

しかし、7月31日には政府部内でもっとすごいことが起きていた。大蔵省の付属機関と化している金融監督庁が夕方、大蔵省の接待汚職事件に関する贈賄側の大手9銀行と4証券に対する行政処分を発表した。予定にない緊急発表である。こうした発表が夕方から行われるのはまさに異例である。

筆者は、大阪支社経済部にいてこのニュースの第一報に接した。「堺屋氏の前言撤回に持ち込んだ官僚批判からマスコミの目をそらすために、第一級のニュースを発表したに違いない」と直感した。後輩記者もすかさず「目くらましですね」と同感した。

記者発表の席上で官僚と記者との間にどんなやりとりがあったかは知らないが、これは大蔵省の暴挙である。

官僚が閣僚発言を訂正させた例はこれまでにもいくつかあったが、今回の堺屋発言撤回は事件である。起こしたのは大蔵官僚である。それ以外に考えられない。そして自ら起こした事件の存在を覆い隠すために新たなニュースを発表したのだとしたら、これは犯罪である。国民に対する背任行為である。 だから堺屋氏は、1998年7月31日に経企庁内で起きた官僚とのやりとりをすべてさらけ出して即刻、長官を辞任すべきなのである。