執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】

7月27日号「スタンフォード大が育んだハイテク都市(1)」の続きです。シリコンバレーの八木博さんの帰国講演会から。

Dog Yearを体得するシリコンバレー

八木さんは、シリコンバレーでの1年は通常の7年分の速さで過ぎていくという。ビジネスの速さが違うそうだ。東西40キロ、南北60キロの中で毎日のように新しい成功者が生まれ、成功物語を語るセミナーがあちこちで開催される。

社会人でも学生でもそうした会場で、直接、功を成したCEOと直接対話でき、また新たなビジネスが生まれる。日本で1カ月とか2カ月は十分にかかるようなビジネスが、ここでは「明日、会社に来ないか」というような形で進み、1、2日で片付くことさえある。相手が単なる学生であってもそうらしい。

バーで飲んでいても「おもしろそうな話だね」とこれまた出会い頭のビジネスに発展する。特徴的なのはそこに年齢や人種の壁がないということだ。八木さんによれば、「まず多くの人がカリフォルニアのゴールドラッシュのパイオニア精神を持った人々の子孫であること。それから、ここに住む人々は東海岸(イーストコース)へのライバル意識はあっても西(アジア)への違和感が少ない」ということになる。

世界中からアイデア、人材、資金が流入してスピード感あるビジネスが展開され、まさにイヌの1年の成長が人間の7年分にあたるというドッグ・イヤーの世界がここに実在する。

特異なことはネットワークの形成だ。しかも従来型の垂直ではなく水平型だという。重要なのは企業と企業の関係ではなく、個人と個人のネットワークである。人的ネットワークの拡大に貢献したのは後に述べるスマートバレーというNGO(非営利団体)の存在だ。多くの企業はすべての業務を社内に抱え込むのではなく、逆に社外に放出する。アウトソーシングは1990年代のアメリカ企業のキーワードとなっているが、シリコンバレーでは企業戦略までアウトソーシングする企業も多く出現している。

ベンチャーキャピタルの成功率は「10に3つ」

日本でベンチャーキャピタルは、単なる投資家だが、シリコンバレーに着目するベンチャーキャピタルは「技術に投資する」。つまり技術者たちに経営ノウハウを伝授し、財務の経験のない場合は有能な経理担当者を派遣するなど至れり尽くせりのサービスがある。営業のプロだって集める能力を持っている。経営コンサルタントに人材派遣業をも加味したノウハウを持たないと、ここでは一流のベンチャーキャピタルとはいえないようだ。

普通、ベンチャーキャピタルの成功率は「1000に3つ」といわれているが、シリコンバレーの場合の確立は「10に3つ」とされ、ここ数年、投資が投資を生む土壌となっている。ベンチャーキャピタルという経営のプロ軍団が技術者を常にサポートしてきた成果であるともいえる。

こうして次々と生まれるベンチャー企業のほとんどでは、従業員にストック・オプション制度を導入している。ベンチャーキャピタルがベンチャー企業にチャンスを与え、今度はベンチャー企業が従業員に業績アップのインセンティブを用意するというわけだ。そして、こんな「賃金体系」のとばっちりを受けるのが日系企業となる。

八木さんの会社は、従業員にまでストックオプション制度を導入していない。社員を募集しても誰も応募してこない。それでなくともシリコンバレーの雇用は逼迫している。

スマートバレーが目指した「Quality of Life の向上」

好景気に沸くシリコンバレーも1992年ごろは不景気のどん底にあった。民・官・個のNGO「スマートバレー」がこの年、発足した。5年間と時間を区切って21の自治体が協力して意識改革に乗り出した。掲げた目標は「地域経済の活性化」と「Quality of Life の向上」である。リーダーたちは規格統一や手続きの簡素化に奔走し、部門ごとの壁をぶちこわしていった。

官民一体は日本語にもあるが、シリコンバレーでは私利私欲や名声を目的とする人々は次々と排除された。残ったのが個人レベルのネットワークだった。

経済的にシリコンバレーが変わったわけではないが、参加した人々にとって「情報の共有」や「人脈の拡大」が大きな成果となった。八木さんによれば「シリコンバレーが競争と協働するコミュニティー」に生まれ変わったという。

そのスマートバレーは役割を終えて年内に解散する。