ソ連邦が消滅、東西対立による冷戦構造が崩壊したにもかかわらず、旧ユーゴスラビアを始めとして世界各地で内紛が絶えません。これまで力によって押さえつけられていた内紛の種が、力の均衡が崩れたことで表面化したことも考えられます。自由化によってこれまで閉ざされていた国内問題のニュースが西側に報道されるようになったことも、われわれがそうした各国の内紛を知るきっかけとなっています。
 国連など国際機関では、旧ユーゴスラビア問題だけが国際的に取り上げられているとの批判も途上国側から提起されており、忘れ去られた内紛も少なくありません。戦後、各地で起きた悲惨な内紛や局地紛争をたどりながら、問題の背景や将来の艇望を考えてみたいと思います。
 タガが緩んだ独立国家共同体
 旧ソ連のペレストロイカの進展でまず生まれたのが、リトアニアなどバルト三国の独立です。第二次大戦前は独立国として存在したものが、戦後、ソ連に併合されるという悲惨な歴史を持っていました。ソ連政府のタガの緩みに乗じ、西側諸国の支援も受けて一方的に独立を宣言したのです。
 また広大な領土を持っていた旧ソ連は15の共和国に分離しました。ウクライナ共和国はロシアと民族的にも宗教的にも同根ですが、これまでのロシア人による抑圧に強烈な民族意識で対抗する姿勢をみせ、独自の軍事組織まで編成しています。そのウクライナでは、ルーマニア人が多数のモルダビア共和国がモルドヴアと国名を変吏、国家主権を宣言しています。中央アジアのイスラム圈の共和国はイランやトルコへの接近を図る一方、独自の民族意識の芽生えているタジク共和国とキルギス共和国では、流血事件を伴う民族間衝突が生じました 唯一のキリスト教共和国であるアルメニアとアゼルバイジャンとの民族衝突は根が深く、打開の糸目さえにつかっていません
 旧ソ連が緩やかな連合体である独立国家共同体(CIS)に移行、ロシア、ウクライナ、ベラルーシの三共和国が主権を確保したものの、19世紀にロシア帝国に征服されたイスラム系地域に、大きな力の空白が生じているのです。CISは分裂の危機に瀕しています。各地で民族の違いや宗教の違いによる抑にや差別かうっ積しており、溜まり溜まったマグマはどこで噴出しても不思議ではないのです。
 求心力なきユーゴスラビア
 旧ソ連での民族主権回復の動きは、すぐさま東欧諸国にも伝播しました。チェコスロバキアはいちおう民主的手続きで国家分離を試行錯誤していますが、旧ユーゴスラビアはセルビア人とクロアチア人、イスラム教徒の三つ巴の戦いが続き、破壊は都市部だけでなく農忖部にも及び、すでに数万人が死亡、220..ト万人の難民が発生していると伝えられています。サラエボには現在国連軍が駐留、西側諸国を交えた和平へ向けた話し合いも成果を上げていません。
 旧ユーゴスラビアは、バルカン半島のセルビアなど6つの共和国による連邦制国家でした。この地域はかつてオスマン・トルコの支配下に苦しみ、20世紀初頭にはセルビア人青年がオーストリー皇太子暗殺を図るなど、第一次大戦の発火点ともなりました。また第二次大戦でもナチスの蹂躙を受けた凄惨な歴史を持っています。
 戦後、社会主義を導人しましたが。非同盟諸国の盟主チトー大統領のもとでソ連にも組みしない独自路線を歩んできた国です。ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボは冬季オリンピックが開かれたばかり。
 自由化・民主化の波によって東欧は、ソ連圈からの脱却という悲願を成し遂げました。しかし旧ユーゴでは、そもそも連邦を構成する共和国の結束が歴史的にも脆弱だったことから、自由化・民主化の動きが逆に国内分裂を促進、民族対立が血を血で洗う悲惨な結果となっています。
 主戦場となっているボスニア・ヘルツェゴビナはイスラム教徒が多い国柄で、セルビア人もモザイク状に多く居住、かねてよリセルビア人との紛争が絶えませんでした。
 旧ユーゴをめぐる内紛は、セルビアとモンテネグロによる新ユーゴスラビアと、他の共和国がお互いを国家として認めないところに紛争の原因があるようです。イスラムとキリスト教、いわば束洋と西洋の接点で起きていることは、CISのアルメニア・アゼルバイジヤン問題と同様、歴史の転換点を象徴する出来事といっていいのかもしれません。
 戦後の各国内紛の歴史
 戦後の地域紛争は、まず旧宗主国の植民地からの撤退による力の空白がもたらし、次いで冷戦構造ドの米ソの代理戦争という形をとってきました。長年、超大国の対立の最前線だったインドシナのカンボジアは、ようやく国連監視のもとで新政権の樹立を模索する段階となりましたが、アフリカのソマリアでは冷戦下でのいさかいをいまだに引きずっています。
 中東諸国はもともと、石油の利権などをめぐって西欧列強に人為的に国境が引かれた代表的な地域ですが。戦後はイスラエル建国による軋轢が火種となって、周辺国を引き込んだ大規模な幟争に発展、いまでも触発の情勢です。
 南アジアでは、イスラム教徒が住民の過半を占めているカシミールの領有をめぐってインドとパキスタンが対立、独立以来の重たい課題となっています。スリランカではタミール族とシンハリ族とが現在でも小さな国土で殺戮を繰り返しています。戦後50年たっても英帝国崩壊による力の空白が、この地域では埋められているとはいえません。
 中国での民族紛争はあまり知られていませんが、1950年代からチベットが独立を要求、ダライ・ラマのインド亡命政権は、30年を超える年月にもかかわらず健在です。また経済だけにとどまっているため表面化していませんが、自由化が政治面にまで及ぶと中国国内の内紛に火が着くことはほぽ間違いないでしょう。
 超大国の力の後退、対立の解消は、核戦争の危機回避をもたらしたという点で人類の歴史にとって大きな進展でしたが。逆に地域紛争を誘発する原因となっていることは悲しいことです。力による他民族の抑圧は決して許されるものではありませんが、民族間の無差別な殺し合いを肯定するものではありません。
 旧ソ連消滅後の世界は、こうした地域問題解決に国際機関の役割を求めているようです。日本は戦争という悲惨な体験を背負ってきましたが、歴史的に民族間の抗争を経験してないだけに、複雑で難解な背景を持つ地域紛争は分かりにくいはずです。日本が国際機関を通じてもっと世界に貢献するためには、まさにモノとカネを超えた理解を深める必要があるでしょう。「許すが忘れない]などと。過去の戦争を現体験として持ち続けている近隣諸国が多くいることも忘れてはならないのです。(共同通信 伴武澄)