外務省の霞クラブの後、労働省記者クラブに配属された。日経を除いて経済部の記者は配置されていなかったため、日経の若手記者が抜きまくっていた。1990年は日本経済が頂点を極めていて、労働力不足から外国人労働をめぐり活発な議論が行われていた。