フィリップモリスを紹介されたのは、1990年のことだった。穎川道子さんという広報マンと知り合って、フィリップモリス社の見学に来ないかというオファーがあった。シカゴのクラフトフーズ、ヴァージニアのたばこ工場、そしてニューヨーク本社と約1週間の旅だった。当時、経団連が社会貢献などと言い始めていたころである。資生堂の福原義春社長が委員長になってチームをつくっていた。取材の主眼はフィリップモリスの社会貢献活動だったが、おかげでアメリカ多国籍企業の在り方を多く学んだ。特にシカゴ以降、旅は同社のコーポレート・プレーンで移動させられたことには驚いた。企業が多くの航空機を持ち役員の海外出張だけでなく、社員の国内移動までも社有機で行っていたのだ。8月2日、ニューヨークにいた時、イラクがクウエート進攻したというニュースに接し、「アメリカで遊んでいていいのか」と思わされた。(2001年5月26日記)

 〔ジョージ・ノックス文化スポンサーシップ担当役員〕
 企業の文化社会事業についてフィリップモリスは次の三つに分けて考えている。①企業の社会的責任②地域貢献③医療。
 フィリップモリスの社会貢献ではいつも「アフリカの水場の動物みたいなもの」と説明している。野ネズミは水場のどこでどれくらい水を飲もうと自由だが、ゾウはどこに立って飲むかさえ気を付けなければいけない。他の動物に迷惑をかけてはいけないからだ。
 ゾウは責任ある態度を態度示すだけでなく、他者から見で責任ある立場行動していることを理解させる必要があるのだ。
 私の担当は文化支援。芸術に限っていえば、最近ビジネス以外関係ないと考えていた経営者の態度が変化している。この変化は1960年代に始まったもので、この年代はアメリカ社会が大きく変化した時代。企業が社会的役割を見直し始めた。社会や国家、そして地域に関しても関心を持ち始めた。
 フィリップモリスが芸術分野に着目、支援活動を始めたのは1960年だった。ビジネスにもよい影響を与えると考えたのだ。
 芸術は、人々の心を喚起させ、常にオリジナルなもの持つ。そうした劇的なものを取り入れた結果、自らが刺激をを受け、さらに高めるような活動が広告を中心に広がった。
 われわれが手掛けたのはモダンアートのなかでもポップアートという分野。美術館から作品を借りて展覧会を開催した。全米に次いで世界中でも展開した。これは内外で相当の関心を呼んだ。フィリップモリスの名声が高まり、それが30年後の今、良い人材を得ている一因ともなっている。
 当時はフィリップモリスは売上げが10億ドル、いまでは500億ドルの大企業。今は何をしても目立つが、当時は小さな会社に過ぎなかったことを覚えておいてほしい。
 当時の社長は反対、社内でも反対が多かったが、初年の成功で社長の懸念もかきけされた。かつては何をやるにも社内のコンセンサスを得ることが難しかったが、今では既に前向きのコンセンサスが確立している。
 70年代にはこつこつ事業も兼任でやっていたが、いまでは10人の専任スタッフが担当している。
 文化活動援として、何でも取り込む企業もあるが、フィリップモリスが独自のスタイルを生み出しているのは分野を絞り込んできたからだ。アイデンティティーもなくお金を出せば良いというわけではない。
 初期にはビジュアルアートに絞り込んでいたが、今は舞踊、演劇、音楽にも活動が広がっている。支援の範囲も会長のマックスウェルは常々「力がありながら恵まれない人々」といっているが、無名の芸術家だけでなく、メインストリームにも広がっている。
 おかげで、芸術関係者や企業、マスコミ関係者にもフィリップモリスの支援活動は理解されるようになった。ニューズウィークはわれわれのことを「コーポレート・メジチ」とさえ評価してくれるようになった。
 また、人々にフィリップモリスがスポンサーをしているなら「みてみようか」という気にさせている。逆に評価が上がった分、年間何千もの支援要請が来るようになり、多くのなかから振り分けて絞り込まざるをえなくなった。
 われわれは今ではたんに資金提供をするだけでなく、美術館の設立でも準備段階からスタッフが参画している。この7年間に16の展覧会をスポンサーしたが、どれもフィルムに納めて内外の図書館などに寄付している。より多くの人が鑑賞できるようにと考えてだ。
 最近のヒットは「ピカソ、ブロック展」。批評家から歴史に残るスポンサーシップは評価された。いまアトランタでやっているアフリカを題材とした「ブラックアート・アンセスター・レガシー」という絵画展は、作家が「いままで売れなくて車庫にゴロゴロしていた自分の絵が、絵画展をきっかけに何千ドル、何万ドルで買いにきてくれる」といっている喜んでくれている。
 われわれがやってきた文化活動支援は、企業のイメージを高める一つの方法で、小さな企業が人と違うものを打ち出すための一つの方法でもある。われわれの場合は広告活動で相当大きな刺激となってビジネスにも帰ってきている。

 いま米国企業のなかに社会貢献のプログラムのない方がまれだ。株主も理解しており、企業の非営利団体への課税控除もあるからだ。
 米国法の下では、個人や企業の献金を奨励している。他国ではこの機能を国家がしているのかもしれない。
 米国の企業には企業は地域とともに発展するという考えがある。企業イメージ向上につながり、リクルートの面でも利点がある。
 フィリップモリスにとっても社会貢献は企業の長期戦略。1950年代に始めたが、いまでは世界で最も大きな目立つ社会貢献企業となっている。
 われわれの社会貢献の姿勢は年代に大きく変わった。それは二つの理由による。一つは有名になりすぎ協力依頼が殺到、毎年1万件を超える要請を余裕をもってコントロールできなくなったため。第二にはM&Aの影響。クラフト社参加により、対象が拡大、統合された理念が必要になったからだ。