外国人労働に関する一考察 1990年6月1日メモ
日本とはなにか
米国の場合「米国の国籍を有する者」が米国人ということができる。いたって簡単な定義だ。しかし、こと日本人となると難しい。日本では「韓国系日本人」や「中国系日本人」という表現はままあるが、「米国系日本人」や「インド系日本人」といった表現はほとんど聞かない。もともとそうした国からやってきて日本で住んでいる人々の数が少ないという理由もあろうが、日本国籍を取得できる要件を満たしているにもかかわらず「日本人」になろうとしないのは、単に日本で国籍を取りたくないのか、あるいは取りにくい状況があるかのどちらかだ。
「日本人」という言葉に対応するのが「外国人」「外人」ということになるが、その場合、一般的には中国人や韓国人などアジア系の人々はあまり「外国人」と呼ばれない。これはかなり言い古されたことだが。「われわれ日本人」の本質を知る上で宮要な習價といってよい。
なぜか。その一つの理由に中国人や韓国人で日本に帰化した人が多いという事実もあろう。しかし。、「われわれ日本人」は帰化した外国人であっても欧米系の顔をしていたり、インド系やアフリカ系の顔をしている人も「外人」と呼ぶ。
「われわれ日本人」にとって「国籍」と「民族」の区別が全くないといっていいくらい、この分野では未成熟な民族なのだ。
「われわれ日本人」にとって、「外国人」が日本国籍を取得するためには法的に国籍取得手続きを取るとともに、民族的にも「日本人」になってもらわなければならない。そうなると「われわれ日本人」と異なる外見を持った民族は、たとえ法律上日本国籍を取得しても未来永劫に「日本人」になれないことになる。
その点て同じ外見をもった中同人や韓国人は「日本人」になりやすい条件を整えている。
日本語を習得することは「外国人」にとっでは難しくはない。「われわれ日本人」の習慣を身につけることもそんなに難しいことではない。あとは名前さえ日本風になれば、完全な「日本人」だ。
1990年5月23日の官報の「帰化に関する告示」には同日、日本国籍を取得した117人の名前が載っている。ほとんどが韓国、朝鮮、中国人で興味深いの3人を除くほぼ全員が日本名を持っていることである。たとえば長野県の金正一さんは金井正一。東京の徐珍淑さんは小笠原淑子。鹿児島のトルオンバン・ヒェップさんは宮脇明といった具合だ。
そもそも「官報」に「国籍取得」でなく「帰化」という言葉を使っていることもどうも気にかかる。古代には「帰化人」は先進文化やハイテクの匂いがしたが、「帰化」という意味は「帰順」というような意味合いがあり、単なる行政的な手続きよりも「日本人に従属させてやる」という感じが強いのではないだろうか。
そう考えれば外国人が日本に「帰化」する場合、日本名をつけさせられる意味合いも理解できそうだ。
帰化した外国人の全員が日本名を持つなどということは、興味深いとか奇妙な現象といった表現ではあらわせない。ひょっとしたら大変な人権抑圧ではないかと思う。二世や三世ならともかく、「われわれ日本人」にとっても外国で国籍を取得する場合に先祖からの姓名や親に付けてもらった名前を変えることなどは思いもつかない。日本国籍を取得するに当たって入国管理事務所の職員が「日本名を強制しているのではないか」とさえ考えられるからだ。
法務省に問い合わせれば「そうした事実はない」と答えるに決まっているから、あえて問い合わせる気にもならないが、そうした事実があるのだとしたら戦前の朝鮮人に対して行った強制改名と全く変わらないことを戦後の民主日本も依然として続けているということになる。
私の友人にパキスタンからきたマホメッド・ライースはいう人物がいる。岡山県の林原の広報部長も勤めた人でマスコミにもときどき登場しているから知っている方もいるかと思う。
お父さんが外交官で、60年代に日本大使館勤務となったとき「お前の兄さんはアメリカに残して勉強してもらっている。お前は日本で勉強して将来パキスタンのため役立つ人間になれ」と言われて新宿高校を経て、横浜国大を卒業、その後も日本に留まって日本企業に嘱託職員として働いてきた。
日本の法律は外国人の就労を基本的に禁止しており、企業側も外国人の採用に今ほど積極的でなかったから、嘱託職員に甘んじていた。初めで正社員で採用してくれたのが、今勧めている林原だった。
岡山市の郊外にある同社の社宅に住んで、娘二人は市立の小学校に通った。上の娘が小学校の高学年に達したある日、ライースさんはふと考えた。「娘二人は少々のパキスタン語(ウルドゥー語)と岡山弁しか話せない。名前どころか、顔つきも完全なインド・アーリア系。国籍はないが、日本で生まれて、日本語しかしゃべれなくて、内面的にはほとんど日本人なのに顔つきが外人ということだけで、この娘たちはずっと日本に住み続けても外人なのだ」。
そう考えると子供たちがかわいそうになって、通勤時間と通勤不要を犠牲にしてインターナショナル校のある神戸に引っ越すことを決意したという。
「われわれ日本人」はこんな外国人の苦しみに関して何にも知らないで暮らしている。日本にとって「外国人」問題は単に単純労働や不法就労の問題ではない。