自由化進む東欧諸国 1989年(Libro)
振り返ってみると、1989年は歴史の大きな転換点だったことが分かる。中国で天安門事件が発生し、学生らによる民主化運動が挫折した。同じ日、イランのホメイニ師が死亡した。そして東欧の民主化が進み、ベルリンの壁が崩壊した。日本では1月、昭和天皇が崩御した。日米間では構造協議が始まり、官僚主導型の経済成長にメスが入った。89年末に東証ダウは3万9000円の最高値をつけたが、その後30年たっても、日本経済は立ち直っていない。(2021年5月13日)Libroに「東欧に関する考察」を寄稿した。
今年7月、パリで開催された先進国首脳会議(アルシュ・サミット)の前後から、ポーランド、ハンガリーなど東欧の経済改革に世界の関心が高まっています。長い間、ソ連・東欧圏と西側諸国との間で政治的な緊張関係が続き、経済やヒトの交流はあまり活発には行なわれていませんでしたが、サミットに出席する直前、ブッシュ米大統領が東欧諸国を歴訪、サミットでも東欧経済支援の政治宣言が打ち出され、一転して経済の東西交流も一気に加速しそうな勢いです。
社会主義諸国の選択とアメリカの対応
「平等」をスローガンにした社会主義経済は一時期は世界の貧しい国々や学生らから大きな期待を持たれていました。しかし、資本主義国の目覚ましい経済発展と比べて、その経済・社会システムの後進性が指摘されるようになり、これらの国々の指導者たちも、「このままでは、資本主義国との経済的格差は広がるばかり」との危機感を抱くようになリ、資本主義的手法を収り入れた経済の導入に積極的になってきています。
こうした東欧の歴史的転換の流れに敏感に反応したのが、ブッシュ大統領でした。まずポーランドを訪れ、同国が進めている経済改革への支援を高らかに世界に宣言しました。ブッシュ大統領の演説はかなり感動的なものですので、ここでその一部を紹介したいと思います。
大統領は、ポーランドのこのほどの総選挙で労働者の自主管理労組「連帯」が、共産党である統一労働者党に対して圧倒的勝利を収めたことに関してポーランドにおける変化はまさに「コペルニクス的転回だ」と述べました。ポーランド生まれのコペルニクスが、中世のキリスト教が信奉した天動説を覆す「地動説」を展開した事実を踏まえたものであることはもちろんです。
また、東欧がソ連の影響下から静かに離れつつある動きについて、「それぞれの国は自由主義経済をとるか、社会主義経済をとるかの自由な選択も各国の国民の権利である」とつけ加えました.まさに勇気を持って自由主義を選択する時期がきているといわんばかりでした。
東欧経済の近代化
ハンガリーは1956年のソ連の介入を招いた「ハンガリー動乱」以降も、あまり目立つことはありませんでしたが、徐々に経済改革を進めてきました。68年には計画経済という社会主義の枠内ながら、早くも価格制度など一部で市場経済を導入、企業の自主性を高める政策を導入しました。
また、72年からは西欧を中心に外国資本の導人を積極化してきました。すでに外国の合弁企業は利益の海外送金もできるようになり、89年からは50%未満の外資との合弁は許可が不必要になっています。日本企業とも化学製品などの合弁事業が始まっています。金融制度も自由化が進み、債券の発行や証券の売買もスタートしています。
しかし、1人当たりのGNPは日本の10分1の2000米ドル程度とまだまだ低い水準です。ソ連経済圏であるコメコン(経済相互援助会議)にとどまっている限り、西側のハンガリー経済に対する信頼は低いからです。
ポーランド経済は、ハンガリーと比べてもっと遅れた状況です。1人当たりのGNPはハンガリー並みといわれていますが、市場経済の導人は開始したばかリ。8月に食料品価格が自由化されましたが、食料事業が悪いところに新価格制度を実施したため、価格は初日に3倍にも4倍にも高騰してしまいました。
加えて、過去に西側諸国からの借金が累積して経済発展の足かせになっています。
経済改革は可能か
東欧の経済改革は、ソ連のペレストロイカの影響下にあることはもちろんですが、その前79年から始まった中国の改革開放経済の成功が社会主義圈の経済改革に火をつけたといっても間違いないでしょう、中国は6月の天安門流血事件以来、開放経済の将来に不安が出てきていますが、基本的には、外国、つまり日本など西側諸国の進んだ技術と資本を頼りにした政策をとってきました。
中国のこのところの経済成長は、西側との対決姿勢に戻らないという暗黙の合意のうえに、西側の企業が中国に進出し、中国経済を内側から活性化した結果です。
東欧が中国と同じような考え方になれば、西側の企業は積極的に東欧に進出、東欧の経済活性化は約束されるでしょう。その証拠にサミット参加国は、8月初め、早くも東欧支接への経済援助や金融支援など具体策を話し合うための国際会議を開催、今後とも西側共通の課題として、東欧を支援していくことを決めました。
日本との関係も活性化しています。米大統領の東欧訪問以降、「対東欧貿易の成約額が昨年の2倍にも膨れている」(大手商社)との話も聞きます。日本企業によるポーランドの国民車合弁紙業の話し介いも復活しています。日本企業も東欧経済の流れの転換点を敏感にかぎとっているようです。
しかし、経済改革が今後とも順風満帆とは考えられません。問題はソ連の出方です。ソ連がどこまで本気で経済改革を進めていくのか、まだ判断は微妙です。東欧諸国は戦後40年間、ソ連の支配下にあり、いってみれば植民地同様だったのです。ソ連にとって「植民地」を失う経済的損失は小さいはずはありません。
また、経済改革は中国の経験をみれば分かる通り、国民の政治的自由を求める運動につながることは避けられません。西側諸国と違い、政治を抜きにした経済は語れません。東欧諸国は、はやる国民の要求をどう抑えながら、どのように経済改革を軌道に乗せるかが問われているといえましょう。(共同通信社 伴武澄)