2006年3月4日、三重大学メディアホール

 地方版とはなにか。首都以外のいなか。明治時代、中央集権政府が生まれて、地方という概念が生まれた。藩政時代は江戸、上方があって、藩は「お国」だった。
 地方官という言葉があった。地方機関、地方交付税、地方自治体。地方自治体は矛盾している。自治があるのは中心という意味なのに、地方という名称が付いている。中央に本社がある新聞社が地方読者のために地方に関する記事を掲載する紙面。
 全国紙はなかったが、自由民権の発祥地、高知の土陽新聞は全国の民権論者がこの新聞を読んでいた。自由民権の中心地が高知だったからだ。そういうとき、地方紙という意味合いはなかった。
 ①本版から漏れたニュース
 ②地域性のニュース
 ③朝日にとって中心は東京、中日新聞にとっての中心は名古屋、伊勢新聞は津ということになる。だからそれぞれ地方版の意味が違う。

 明治時代、全国紙はなかった。すべてが地方紙。いわば地方版だった。ページも少なく、地方版ともうけるスペースもなかった。

 地方版が生まれるのは、全国紙の地方進出からうまれた。
 ①拡販の目的
 ②地域の人物を登場させる
 ③広告目的
 ④スポーツ、祭
 ⑤読者との切点をより大きくさせる

 ニュースとは何か
 ①発信源 発表もの、発掘もの、記者が探し出す
 ②媒体が持つ広がり、全国紙と地方紙はどう載るか、どう伝わるかが全く違う。
 ③記者やデスクが持つ関心の広がり
 昨年のパラオでの遺骨収集は発信地が桑名市だったが、中日、NHKが現地入りして華々しく報道した。地方面ニュースではなかった。
 帰国後に会見したのでは全国ニュースにならなかった。記者が関心をもって広がっていった。共同は支局がなく特落ち、なすすべがなかった。地方発が全国ニュースになったケース。
 フェロシルトは舞台が東海3県。石原産業は大阪。一面トップで各紙が報道を競ったが、東京では一行も載らなかった。一面が全国ニュースとは限らないケース。