伴 武澄 財団法人国際平和協会会長

日 時 平成23年11月19日(土)                                  
会 場 金沢エクセルホテル東急
世界連邦運動協会石川県連合会

自己紹介
高知県生まれ
南アフリカで中高時代を過ごす
国立高校で学生運動に遭遇
東京外語大中国語学科卒業
共同通信社に勤務、主に経済畑
80年代からアジア経済に関心
北朝鮮の図満江開発地区を視察
メルマガ「萬晩報」を発行
財団法人国際平和協会の理事に就任
賀川豊彦と出会う
2009年、賀川豊彦献身100年記念事業の広報委員長
2009年、世界連邦運動協会理事、ニュースレター編集長
2010年、霞山会、think asia編集委員
2011年、共同通信を退社、高知市に帰郷

賀川豊彦との出会い
国際平和協会-東アジア経済圏のシンクタンクに衣替えするため
環日本海経済圏-日中韓ロの国境をとっぱらってEUにならった経済共同体をつくる運動。ハワイの東西センターの趙利済副理事長がリーダー、UNDPが後押しした。日本経済研究所の金森久雄が日本側の代表。
世界連邦運動につながる構想であることは知らなかった。
資金難によりシンクタンク構想は解体
しかし、事務局にあった古い機関紙「世界国家」を読んで賀川豊彦に興味を抱く
労働運動、農民運動、協同組合運動、平和運動など運動と名のつくもののすべての起点に賀川がいたことを知る

予見する
賀川純基との出会い=上北沢の松沢資料館
「われは予見する」という詩
『空中征服』-環境問題を先取りした小説であり、現代にも通用する行政と議会の癒着による政治を批判。
徳富蘆花と与謝野晶子に認められる感性

関東大震災
9月2日に大阪を出航し、翌日に横浜。
被害の実態を正しく把握したのは寺田虎彦と賀川豊彦
手付かずの本所地区にテント村-年越し派遣村に類似
マスコミの応援
全国からボランティア
中核部隊はYMCAと神戸購買組合の仲間

本所でおきた化学反応
救援本部-衣食住の確保
教育部隊-保育園・幼稚園
医療部隊-中野総合病院
購買部隊-江東購買組合
金融部隊-中之郷信組

白紙にグランドデザイン
改良住宅、医療保険

ショック・ドクトリン

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』(岩波書店)
新自由主義者は、自然災害や戦争といった 緊急で巨大な事件のなかで被害者・当事者の恐怖心や呆然自失を利用して「洗脳」を図り、自己の政策を急速に浸透させるのだという。チリのクーデタやイ ラク戦争などが実例。
原爆投下、昭和天皇のマッカーサー訪問写真、東京裁判における日本軍の残虐行為暴露も「ショッ ク・ドクトリン」?
日本人は、1945年の敗戦から65年間「敗北を抱きしめ」続けている。
阪神淡路大震災後の日本の金融のメルトダウン、失われた10年もその一環かもしれない。
東日本大震災で気をつけなければならない

2012年は国連協同組合年
新自由主義経済の破綻は明らか
グローバル経済に代わるものを生み出す努力
グラミン銀行のユヌス氏のソーシャル・ビジネス
賀川豊彦の『Brotherhood Economics』
忘れ去られた協同組合の理念
新しい公共-民主党が提唱し、野田政権は忘れている。
グラウンドワーク
地域通貨

世界連邦の流れ
賀川豊彦
尾崎行雄
下中弥三郎
湯川秀樹-湯川スミ
大本

バートランド・ラッセル(英)
アインシュタイン(米)
ロイド・ボア(英)
ロバート・ハッチンソン(米)

クーデンホーフ・カレルギーと賀川
EU成立の背後にある日本人の血縁と思考
カレルギーの母親は日本人
汎ヨーロッパ主義(第一次大戦後)を提唱
  日本では河野一郎が「友愛政治」を翻訳
『ブラザーフッド・エコノミー』が欧州に与えた影響(1936年)=協同組合主義
  →欧州石炭鉄鋼共同体(シューマン仏外相)

東アジア共同体は可能か
日欧米から日中韓の時代に(抵抗するのが米)
白人社会の覇権時代の終焉(アジアの復興)

円=圓(えん)=元(yuan)=圓(ウオン)
日中韓の通貨名は同じ
漢字文化、儒教・仏教への理解
日本海=Sea of Coria=東海(トンヘ)
小笠原諸島=Bony Island
香港=ホンコン=シヤンカン
問題は欧州ほど勝った負けたがないこと
多・他民族統治を経験したことがない日本

明治人に学ぶ think asia
八田與一=台南の嘉南大圳
久保田豊=水豊ダム(鴨緑江)
青山士(あきら)=荒川放水路、信濃川大河津分水路
広井勇=日本土木の父

鈴木大拙
「西洋文化には、二分性から来る短所が著しく見え、それが今後の人間生活の上に何らかの意味で欠点を生じ、世界文化の形成に面白からぬ影響を及ぼすと信ず る。東洋的思想の中で最も大切で根本的なもの、それを一口でいうと「自然」にかえれである。乾燥した概念性のものをやめて、原始的心情に戻って「自然」と 一つになりたい。対立を越える英知が東洋の思想にある。この思想を多くの人に理解してもらいたい」。

インビクタス invictus
ネルソン・マンデラの復活を映画化

 マンデラは9000日、27年間もの間、監獄で過ごし、
 アパルトヘイト廃止後の南ア大統領に就任します。
 憎しみを乗り越えることを同胞に訴えるのです。
 白人社会の象徴だったラグビーチーム
 「スプリングボックス」の存続を決め、
 1995年開催のワールドカップで
 ラグビーを国家統合の証にしようと努力した

 イギリスの詩人ウィリアム・アーネスト・ヘンリーの
 詩の名前に由来します。マンデラが獄中で愛読した

  I am the master of my fate(私は我が運命の主であり)
  I am the captain of my soul(我が魂の指揮官なのだ)