1月15日(金)

はりまや橋商店街の空き店舗で午後7時から開催します。

第37回夜学会は最近読んだ『海にはワニがいる』の感想みたいな講義となる。自分の生まれた国で生きて行けないほどの圧迫を受けた少年がアフガニスタンを脱出後8年かけてイタリアに到り、ようやく心の安寧を得るという希有な冒険物語である。問題は実はそれがアフガンでは『希有』ではなく、日常的な出来事であるという点である。そんな出来事がファンタジーのように聞こえるのがのうてんき日本なのだということに気づくあなたはまだ正常な神経を持っているはずだ。

1月15日の講義の内容は以下のようなものでした。

終了後、3.11後の原発事故の影響を逃れて、高知に移住してきた青山さんから、「僕自身が、ある意味で“棄民”だ」という問題提起があった。確かにそうだ。歴史的に日本人は難民となる国家的危機をほとんど経験したことがない幸せは民であるが、万が一、あと一つでも原発が大きな事故を起こしたら、日本に住めないと考える大勢の人たちが発生する。世界の困った人たちに手を差し伸べる必要性を考えると同時に、日本人が難民となる可能性についても考えておかなければならない。

 イタリア在住の友人、飯田亮介が翻訳した『海にはワニがいる』を最近、読んだ。たった10歳のアフガニスタンの少年が戦乱の故国を逃れ、パキスタン、イラン、トルコ、ギリシヤを経てイタリアにたどり着く。行程6000キロに及ぶ旅はファンタジーではない。実話に基づく物語だけに心打つ。
 本作は既に27カ国で刊行が予定されており、「ぼくは恐くない」(2003年)などの作品がある伊映画プロダクション、カトレア社による映画化も予定されているという。
 アフガニスタンは有史以来、多くの民族の蹂躙する道にあった。遠くはアレキサンダー大王、モンゴル、チモール、近世ではイギリスとロシア、そしてソ連とアメリカ。主人公のエニャットはモンゴルの落とし子とされるハザラ族。アフガンの主要民族であるパシュトーンに迫害されてきたが、シーア派であることからタリバンにも抑圧される人々である。
 生まれた村ナヴァには電気もガスもない。そもそもアフガンには鉄道が1メートルも引かれていない。海がなく、山ばかりの乾燥地帯である。石油など資源があるわけでもないのに抑圧、蹂躙されてきた。単にアフガンがインドへの道であったからである。アフガンとパキスタンの国境にカイバルバスという有名な峠がある。アレキサンダー大王も、チンギス・ハーンもみな通った峠である。回廊国家、文明の十字路とかっこよく紹介されることもあったが、通り道であることだけで略奪され続けてきた。
 エナヤットの旅はたぶん10歳で始まる。「アフガニスタンには戸籍がないから、本人も正確な歳を知らない」。パシュトーンからの迫害は半端でない。村の小学校は意味もなく閉鎖され、校長らは子供達の前で射殺される。エナヤットの父親も奴隷のようにこき使われトラックの交通事故で死ぬ。今度は荷主から「荷が台無しになった。賠償しろ」と家族が脅迫される。
 エナヤットの将来を不安視した母親は隣国のクエッタに息子を連れ出し、姿を消す。村にいては殺される、それより物乞いでも何でもして生きてくれという母親の思いがあったはずだ。自分の国で安全に暮らすのが難しい国が地球にはまだ少なくないことを知らなければならない。
 エナヤットの夢に時々、故郷は桃源郷のように美しく描かれる。ナヴァの家には電気もガスもないが、寝室と居間を兼ねた部屋で家族みんなが過ごす。庭にはリンゴ、サクラ、柘榴、杏、桑といろいろな果物が生えていた。火を起こして料理する囲炉裏があり、その煙は冬、床を通って家全体を暖房する仕組みになっていた。
 物語にイランのコムという都市が出てくる。エナヤットはそこで石工として働く。「2000人以上もアフガン人が働いていた。コムの人口は100万人だがその他に不法滞在者が100万人いるといわれる」という。アフガンを出たのはエナヤットだけではなかった。アフガニスタンには生きるために隣国に出なければならないという切実な経済事情もある。
 国内で迫害されて海外に出たそのアフガンの子どもたちは、面白いことに隣国では助け合いながら生きるのである。エナヤットはそんなアフガンの子どもの中で生き延びた幸福な一人だったかもしれない。ギリシヤで、イタリアで、親切な人に出会う。この物語はそんな旅先の親切な人たちについても書かれている。
我々、日本人は難民という時、単に「稼ぎに来る人」のように考えがちだが、そうではない。自国には安全に暮らしていけない国が地球にはまだまだ多くあることを自覚するべきであろう。同時にそんな難民たちに手を差し伸べる人間が持つ根源の優しさについても考えを及ばさなければならない時代になってきている。