人にとってどうでもいいことかもしれないが、僕には気になることが少なくない。北陸に越前、越中、越後とあるが、越前と越中の間にどうして加賀という国があったのかずっと気になっていた。5月末に小松市で集まりがあり、前日から小松市に入っていた。

 小松空港は度々利用していたが、小松市を訪れたのは初めてだった。初めての土地ではまず博物館を訪問することにしている。今回も城址にある小松市博物館でその疑問が氷解した。なんてことはない。平安時代に越前国司が越前は広すぎて統治できないと報告したため、その東部が加賀国として分離した歴史があったのだ。そして小松に加賀国の国府が置かれたというわけだ。

 大化の改新まで、加賀は賀我、加宜、香我、賀加とも書かれていたそうで、加賀国は律令制度で最後に設置された国だったのだ。金沢は後に、浄土真宗の拠点として尾山御坊(金沢御坊)が置かれ、戦国時代に柴田勝家の甥の佐久間盛政が尾山御坊を攻め落とし、その地に尾山城を築城し、前田利家が居城として発展した。それまで加賀の中心は小松だったのだ。明治の版籍奉還で金沢県が成立し、小松市に隣接する旧美川町が県庁所在地となっていた時期があったというのも面白い歴史だ。

 高知県のように土佐国、山内家の土佐藩、明治以降の高知県と領域がほぼ変わっていない地域の方が珍しいことを改めて知ることとなった。それにしても小松空港に離発着する航空自衛隊機はかなりの数で、爆音は凄まじい。小松市民はよくも我慢しているものだと思った。ついでに書くと、弁慶の勧進帳で有名な「安宅の関」は深い山中をイメージしていたが、なんと海岸沿いにあったので拍子抜けした。当時、街道が海沿いにあったとしても、周囲は広大な田園地帯だったろうから、どれだけ「関」の役目を果たしていたのだろうか疑問に思った。