シェフチェンコの遺言
19世紀、ウクライナの民族主義が台頭、ウクライナ最大の文学者とされるタラス・シェフチェンコ(1814―61)は1840年、最初の詩集「コブザーリ」を発表した。コブザーリとは民族楽器コブザと奏でながら歌う吟遊詩人のことである。シェフチェンコの登場によって、ウクライナ語ははじめて高度な内容、複雑な感情を表現できるようになったとされる。シェフチェンコはウクライナの自然や人々、歴史に対する愛情とウクライナの隷属からの解放をうたった。彼の「遺言」は今起きているロシアによる侵攻を預言しているようである。詩は以下の通りである。
わたしが死んだら
なつかしい ウクライナの
ひろい丘のうえに
埋めてくれ
かぎりない畑と ドニエプルと
けわしい岸べが みられるように
しずまらぬ流れが 聞けるように
ドニエプルが ウクライナから
すべての敵の血潮を
青い海へ 押し流すとき
わたしは 畑も 山も
すべてを捨てよう
神のみもとに かけのぼり
祈りもしよう だがいまは
神の ありかを知らない
わたしを埋めたら
くさりを切って 立ち上がれ
暴虐な 敵の血潮と ひきかえに
ウクライナの自由を
かちとってくれ
そしてわたしを 偉大な 自由な
あたらしい家族の ひとりとして
忘れないでくれ
やさしい ことばをかけてくれ
ウクライナの国立キーフ大学は、彼の名を冠して「タラス・シェフチェンコ大学」とも呼ばれる。