執筆者:伴 武澄【共同通信社経済部】

●住宅を除けばぜいたく過ぎる日本●
マレーシアの大学で日本語を教えている友人から遅れた年賀状が来た。
「私が教鞭を取っているクアラルンプールから離れたマレーシアはまだまだ宗教を中心とした古い社会です。人々の生活は質素で、アラーの神のもとで時間が止まったような生活が続いています。成長するアジアではなく、停滞するアジアそのものです。年賀状に『日本が駄目』と書いてありましたが、私にはそうは見えません。昨年秋、一時帰国した際、デパートにはモノがあふれ、みんなおいしいものをたくさん食べていたような気がします」。
「アジア経済も大変のようですが、日本はいま、底が抜けそうです」と書いた筆者の年賀状にカチンときたらしい。彼女は常々「でもマレーシアの人たちって楽天的で親切で心が広いのよね」と言っていた。
いま日本を覆っている閉塞感はどこからくるのだろう。改革の理念と実行力が伴う宰相に恵まれないことへの不満だろうか。底無し沼のように暴かれるな官僚と企業との癒着にあるのだろうか。それとも不良金融機関の破綻を発火点とした大量失業時代の幕開けにおびえているのだろうか。答えはすべてイエスであろうし、まだまだ理由は多くあるだろう。住宅を除けば、日本にはぜいたく過ぎるほどモノがあふれ、自由がある。
ファン・ウォルフレン氏ではないが、日本人が自ら幸せと感じられない何かに問題があるのだと思う。生活や社会が思いのままにならないのではなく、そこそこの幸せを幸せと感じられない個々の生きざまの集合体が日本列島の上で日々、うごめいている。筆者がアイヌの梟の神様だったら、そんな情景が空から見えるのだろうと思う。「昔の貧乏人がお金持ちになって、金持ちが貧乏人になって」というそれぞれの栄枯盛衰を認めがたいほど、幸せ度が低いのだろうと思う。
●かつて公務員は安月給で身を粉にして働いた●
この1カ月、萬晩報でさまざまなテーマでレポートを書き続けてきた。メールで反論も多くきた。日本社会の”恥部”を明らかにし、日本では見られないアメリカ社会の断面も紹介してきた。日本社会をこき下ろし、アメリカ社会を礼賛するのが目的でない。筆者が体験してきた記者生活の中から「日本人がどうして幸せになれないか」という設問の答えとして、日本とかアメリカを語ってきたつもりである。
公務員の過剰接待事件も突き詰めれば、公務員自身が幸せでないのだろう。「俺は身を粉にして国家のために働いているのに、安い給料で、しかも狭い汚い官舎に住み続けなければいけないのか。それに比べて民間企業に就職した同僚はけっこう豊かな生活をしているようだ。会社の金でたまに俺を接待してもらって何がいけないのだ」。そんな声がどこからか聞こえてきそうだ。キャリア組といわれる東大卒のある国家公務員OBから10年以上も前に実際に聞いた話である。
かつては「逆玉」で社長令嬢を妻にしたキャリアでなければ、公務員は在職中にマイホームなどを持たないのが常識だった。現実に給料も安かった。みんな生き甲斐は「天下国家」だった。天下国家とは「欧米に追いつけ追い越せだった」。生活水準や産業の競争力が一歩一歩、欧米に近づくことが、彼らの「幸せ」だった。給料は安くとも国家に貢献している実感が、彼らの生き甲斐を支えていた。
●「幸せを測る座標軸」を失った公務員●
1980年代に入って、キャリア公務員をめぐる環境がすべて変わった。オイルショック以降、給与の伸びが止まった民間企業に対して、公務員の給与の伸びは止まらなかった。給与格差はどんどん縮まっていった。しかし、公務員は相変わらず官民格差が大きいと信じた。いまでも信じている。地価が急上昇して民間サラリーマンがマンションさえ買えなくなった時、民間のサラリーマンは「公務員は都内に官舎があっていいな」とうらやんだ。しかし、当の公務員は「相変わらず狭くて汚い」としか思っていなかった。
何よりも、日本経済が「ジャパン・アズ・ナンバーワン」になり、キャリア公務員は「依るべき目標」を失った。「欧米に追いつくこと」だけが「国家への貢献」であり「仕事への生き甲斐」だったから、「幸せを測る座標軸」を失ったともいえる。「国民を幸せにする」という座標軸があれば、まだ彼らは生き甲斐を持ち続けることができたであろうに、彼らは、企業社会を支えることだけにその優秀な頭脳を使った。そして不幸にも残った意識が「自分たちが支えている民間に比べて給料が安い」という歪んだ不満だけだった。
ふつうのサラリーマンにとって「ノーパンしゃぶしゃぶ」などは曲がりなりにも自腹で行くべきところである。金融機関に「おねだり」するような場所ではない。いま日本で一番、幸せを感じていないのはキャリア公務員である。