執筆者:伴 武澄【共同通信社経済部】

●消費者をあおり続けた不動産業者●

「地価が下げ止まらない」という言い分は不動産業界の嘆きである。土地やマンションを持っている人は資産価値が上がることが楽しみだからおもしろくないに違いない。土地なき民は「もっと下がれ」と心の中で喝采を送っている。不動産を取得しようとしている人は「今が底値かもしれない」と不安な気持ちでいる。物価は国民だれもが「上げってほしくない。できれば下がってほしい」と思っているが、地価だけはまったく違う。

事実は1990年のピークを経て数年後から、不動産業者が「底値だ。金利が低い」と消費者心理をあおり続けたことである。そして結果はその後も地価が下がり続けた。振り返れば不動産業者は長年にわたって消費者に「うそ」をついてきたことになる。第一生命経済研究所が12日発表した試算では「バブル期以降に取得した住宅の含み損が33兆円に達した」そうだ。

筆者は、マンションを保有したこともあるが、バブルの後に売却した。含み損を抱えている方々には申し訳ないが、少々のキャピタルゲインも懐にした。売ったのはキャピタルゲイン狙いではない。毎晩、帰宅するときにマンションの小さな空間に灯る明かりを見ながら「なんでこんなものに35年もローンを払い続けなければならないのか」と自問したからである。

支払っている負担と得る幸せ度が釣り合わないのだ。頭金払いといろいろな手数料で貯金は底をつき、月々のローンで家計は余裕をなくした。マンションを持った嬉しさはつかの間で、妻は苛立った。夫婦間はぎくしゃくした。すべてはマンションを買ったことから始まった。何回もいがみ合った結果、マンションを手放すことで合意した。以来、借家住まいが8年目に入った。家なき子として将来に不安はあるが、マンションを持ち続けていたらきっと「多大な含み損」を嘆いていたに違いない。

●DNAに組み込まれた日本人の住宅購買行動●

マンションを売却して実感したことは「地価は下がる」という真実である。支払いに対するコストパフォーマンスが合う水準までまだ下るだろうという確信も得た。日本のような土地インフレしか経験したことのないいびつな不動産市場を持つ国では、地価を冷静に判断する目は育たない。戦後一貫して土地の絶対的な供給量が不足していたから、消費者には「いま買わないと買えなくなる」という脅迫観念が植えつけられている。ほとんどの日本人のDNAに組み込まれてしまっているかのようである。

問題なのは、国民に安くて良質な住宅を提供する義務のある政府が「地価を下げたくない、できれば上げたい」と考えていることである。それでなくとも国民に隠しきれないほどの不良債権を抱えているところに、これ以上地価が下がったらさらに不良債権が増えるからである。住宅がほしい国民と政府の利害は完全に不一致しているといっていい。不良債権問題はもはや一金融界が支えられるような状況ではないほど危機的様相を呈している。金融安定化策のため用意した30兆円という途方もない金額は、そのまま政府部内の危機感を映したものである。

16日には金融2法案が参院を通り、不良債権の財政負担=国民負担が決まる。国のお金をつぎ込むことが決まると、地価下落は住宅がほしい国民にも不幸をもたらす。不良債権が増加し、その結果として国民の借金が増えるからだ。家なき子は地価が下がって「住宅を買えても大規模増税の負担する」か、地価が下げ止まって「住宅が買えないまま、増税の負担」の二者択一を迫られる。増税がまぬがれないのなら、地価は下がった方がいい。