執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】

むかし、福田赳夫という政治家がいた。大蔵官僚から政界に転じ、「財政の福田」と名乗った。ひげを生やせば当時、テレビドラマで人気だった「水戸黄門」に似ていたから「昭和の黄門」とも呼ばれた。大蔵省出身だからみんな財政の専門家と思っていた。1965年の証券不況時に日本が初めて国債を発行したときの蔵相である。国債発行で1965年度の日本の財政は“赤字がゼロ”になったから、国民はみんな福田蔵相に救われたと思った。

特例でスタートした日本の国債発行

福田蔵相が発行したのはたった2000億円である。不況で税収が予定通り入らなかったからその穴埋めに国債を発行した。つまり借金である。そのときは建設国債ではなく、いまでいう赤字国債だった。

財政法という法律では、公務員の人件費などに充てる費用のために国債を発行してはいけないことになっている。だから「特例国債」とか「赤字国債」と呼ばれる。あくまで特例なのだが、戦後初の国債発行が特例からスタートしたことが日本の不幸の始まりだった。 ちなみにその後の財政改革で大蔵省が掲げたのは「赤字国債発行ゼロ」目標でしかなかった。国債発行の減額にはつながるが、サッチャー元英首相が1980年代後半に実現した「国債発行ゼロ」とは質的に違うのだ。

橋本政権が一昨年末に掲げて、いままさに小渕政権が旗を降ろそうとしている「財政改革法」の中身もまた赤字国債の削減でしかない。日本では「赤字国債はいけないが、建設国債はいくら発行してもいい」といった程度の認識しかないのである。

借金の元本を返したことがない大蔵省

話を元に戻すと、1965年以来33年間、日本の財政は借金(国債発行)なしでは回らなくなった。それより見逃されている重要な事実は、国債の元金がほとんど返済されたことがないという現実である。 いつの世でも、個人や企業の借金は返済するものだが、この国の常識ではそうでもないらしい。大蔵省の官僚たちは基本的に33年間、国債の利子だけを払い、涼しい顔をしてきた。頭のいい大蔵省の官僚たちはインフレが起きれば、相対的に返済する負担が減ると考えた。 国の借金のうち、大部分は長期国債と呼ばれる10年物の国債で賄われてきた。確かに10年後にインフレでお金の価値が下がり、相対的な返済負担は減った。しかし、問題は国債の償還日がきても大蔵官僚たちが返済すべきお金を準備していなかったということだった。

ここからが大蔵官僚らしい。「そうだ。まるごと借り換えればいい。金利もいまのまま払い続ければ大した負担でない」。ところが、借り換えた年もまた借金に依存した予算を組んでいたから、借金は雪だるま式に増えた。財政の専門家たちは来る年も、来る年もそんなことを繰り返してきた。 でも官僚たちはまたいつかインフレが来るだろうと高をくくって心配することはなかった。いつのまにかこの国では、国債発行は未来永劫に返さなくていい借金の意味となった。財政の専門家というのはこんな犯罪的な予算編成を苦もなく続けられる精神構造を持った人々のことを言う。 今日のようにたくさんの借金をしなければ予算を組めなくなったのは1970年代の後半の第二次オイルショックからである。ピークの1979年には年間予算の55%しか税収が確保出来ず15兆円もの国債発行を計上した。実はそのころの借金の2度目の借り換え時期がいま来ている。1979年当時の15兆円は89年に借り換えられ、来年にまた借り換え時期が到来する。 大蔵省が毎年末に発表する次年度の一般会計予算は新しく借りる国債の金額だけが計上され、過去の借金の借り換えについてはほとんど言及されない。いつの間にか国債の残高が増えているのはこんな背景があるからだ。

来年度の国債発行額は70兆円?

1998年度予算ベースでの国債発行額は15兆5570億円。来年度の予算ではもっと増えるだろう。これに小渕政権が公約したばかりの7兆円の減税が加わる。さらに金融機関救済の30兆円枠があり、これに過去の借換分が15兆円控えている。合計すると年間の予算に匹敵する金額である。元金を返済してこなかったつけがこうやって経済危機を増幅しているのである。

冒頭に福田赳夫氏の話を持ち出したのは、今日的意味合いで財政の専門家というのは「どうすれば国の歳入不足を穴埋めできるか」を知っている人のことをいうようになっているからだ。専門家ぶって難しい財政用語をまくしたてられると素人は黙らざるを得ないが、素人に分からない財政など何の意味もない。

本来、財政の玄人はお金を使わないという鉄則を守る人ではないか。足りない時に借金をするのはだれにでもできる。だけどいつまでも借金を増やし続けることができるのだろうか。個人や企業だったら、とっくの昔に銀行から見放されているはずだ。

国だから借金を踏み倒しはしないだろうと考えるのはあさはかである。第二次大戦のときの大量発行した国債が戦後、紙屑になった。そんなに昔の話ではない。北朝鮮は借金を返済しなくなったから国際社会は10年前から、だれも相手にしなくなったのである。

景気浮揚のために減税が必要だという議論は間違いではない。だがその財源となる国債を買っているのはだれなのだろう。答えは金融機関である。ふつうの市場経済では国の借金が増えれば金利が上がるのが道理だが、この国では一向に金利が上がる気配にない。

なぜ、金融機関はこんな金利の少ない国債を唯諾々と買い続けているのだろうか。理由は簡単である。日本の金融機関がすねに傷を持っているからである。国に押しつけられてきたともいえる。

だが金融機関といえどもいつまでも日本の財政につき合ってばかりいられない。いつかない袖は振れないときがくる。来年あたり、新規国債どころか過去の国債の借り換えを認めないことになれば日本の財政はどうなるのだろうか。考えるだけでも恐ろしい。

【財政法4条】(1)国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない。但し、公共事業、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲で、公債を発行し又は借入金をなすことができる。戻る