竜馬と沖縄サミット
執筆者:中野 有【とっとり総研主任研究員】
坂本竜馬なら現代の難局に如何に取り組むだろうか。司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく」の影響が大きいのか、人生のターニングポイントに接したとき常に「竜馬ならどうするのだろうか」と自問してきた。
1933年に中央公論社から出版された「非常時国民全集・外交編」の中に竜馬が登場する。司馬氏が竜馬を描く30年以上も前である。今時こんな本を手にする人はいないと思うが、たまたま東京神田の古書店で見つけた。その本の中で「竜馬なら戦前の難局をどう乗り切るか」のヒントがあった。この本には、時の外務大臣の広田弘毅、国際連盟脱退の演説をした後の松岡洋右など、日本の命運を左右した先人の論文が数多く掲載されている。
歴史を学ぶ最善の方法は、本人直筆の論文から現場を経験した行動に伴う思想やビジョンを読みとることである。そこには教科書や抽象的一般論からは得ることができない歴史の潮流が潜んでいる。非常時国民全集の中に鶴見祐輔氏の「世界外交の危機1936年」という50ページにわたる論文の結びに竜馬は現れれる。論文の結びだけが小説風である。この傑作を以下できる限り原文にそって要約する。
懐手をして海を見ていた男が、くるりと後ろを向くと、「どうだ、おもしろい世の中になってきたね」と爽快な南国弁で大きく言った。どこか見たことのある顔だ。そう、坂本龍馬だ。
「ほう、お手前もそのとこを考えていたのか」と、これは歯切れのいい江戸弁だ。勝海舟だ。
「もう一遍桂浜に帰りたいなあ。我々はちと早く生まれすぎたな。あの時分は、ご一新と言っても、なにしろ舞台が小さかった。それがどうじゃ。今度は世界が相手、徳川でも新撰組でもない。相手は世界の一等国ばかりじゃ。この大きな舞台に出て潮に乗る今の若い奴等がうらやましい。生活難とか不景気とは、つまらんことを言いおるが、我が輩共の当時の生活を考えてごらんなされ。ま、まるで話にもならん贅沢な暮らしじゃ。一体、今の日本に何が欠けているのじゃ」
まるで喧嘩腰で、竜馬は海舟に詰め寄せた。
「今の日本に勇気と見識が必要じゃ」と海舟は冷然と答え更に続ける。
1936年は単純な海軍競争でも陸軍競争でも、一国と一国の争いでもない。全世界の根本的見直しの序幕じゃ。上手な作者は、序幕を先に書きおらん。まず一番おしまいの第5幕を書き下ろす。つまり、どう幕切れを付けるか芝居のねらいどころじゃ。日本民族の千年後の結論をどこに持っていくか、それが大切なのじゃ。
日本民族の大仕事は、太平洋文化の建設じゃ。東洋と西洋の文化を悉く取り入れて、日本精神をもってこれを大きな新しいものに作り変える。それが日本民族の運命・使命なのじゃ。日本は東洋でも西洋でもありはせん。日本は日本なのじゃ。だから東洋と西洋とを我が大腹中に包み込む気迫がなくてはいかん。
21世紀は米国と中国の対立が生じる可能性が高い。日本の役割は、米国と中国との仲人か。沖縄サミットの重要議題は、発展途上国支援、紛争予防などである。アジアで唯一のサミットのメンバー、議長国日本は、どのように中国の意向をサミットに反映させるのか。
サミット前の5月に天津で、北東アジアの多国間協力や北東アジア開発銀行構想の会議が開催される。中国や韓国は北朝鮮の瀬戸際外交を、建設的なアプローチで包括させるだろう。その背景は、中国や韓国の米国主導の迎撃用ミサイルへの反発がある。
北朝鮮は、イタリアのみならず、オーストラリアやフィリピン等との国交正常化を急務と考えている。その延長線上に米国や日本がある。日本も日朝国交正常化交渉を再開させる。北朝鮮の戦争賠償に伴う資金協力に対し日本はどのように対応するのか。今夏の沖縄サミットでは、日本の役割を発揮できる最高の環境が整ってきた。
まだまだ千年のシナリオの第2幕が始まったばかりである。竜馬なら、沖縄サミットで、発展と紛争の可能性を秘めた北東アジアにどのような奇策をぶつけるのであろうか。(3月15日日本海新聞「潮流」掲載=なかの・たもつ)
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