今、地方への下放の時代?
執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】
糜爛(ビラン)文化の写し絵でありながら中央思考の強い雑薄な人間が集い、情報というガセネタが飛び交う東京を中央と勝手に呼び、その他の地域を身勝手にも地方と錯覚している。
地方といえば「文化程度が低い」はたまた「インフラ整備が遅れている」だから「食っていけない」などと評価したり、そんな御仁に限って隣国やアジア地域を「遅れている」「後進国」などと呼称している。地図上の呼称である「何々地方」はあるが、都会人が哀愁なのか、それともたまに出かける物見遊山の想い出からか、「地方の文化」などと褒め上げても鼻白む思いがする。
中央と呼んでいる都会とて,一旗上げようと上京したものや、何代前は鹿児島だとか、北海道だとか、江戸にさかのぼれば三河から連れられてきた職人さんだとか、所詮,寄り集まりの「無い混ぜ文化」でもある。
そんなところでも居心地がイイのか,功成り名を遂げ、ついでに利を得た政治家がいつまでも中央に滞留している。待てば海路の日よりかな、褒賞狙いもいればパーティの挨拶役など、早く出身地に戻って後進の指導でもすればいいものを,そんなのに限って何年前かの悪事が露呈してお縄になる勲章持ちもいる。地方としても帰ってきて威張られたのではかなわないとばかり,揉み手で床の間に座らせ利権獲得のメッセンジャーに仕立て上げている。
もともと中央というものが政治の中心とはいっても江戸築城のころは開発地域であり職人飯場のあつまりのようなもので、女性は飯盛り女か遊女。まともなのは?大店の女中か武家の腰元ぐらいで,男も熊さん,八っあんの長屋話のようなもの。約8割近くが独身だったそうで、ときおり嫁話があると「越後屋のお手つき女中をもらった」などと自慢の種になったようだ。立身出世の絵物語ではないが、家柄や出身校という風袋を自慢する昨今とひとつも変わりがない様相であったようだ。
あの鬼平犯科帖で有名な長谷川平蔵が活躍した前後は、今と同じく若者が集まれば衣類やかんざしといつた装飾品を自慢しあったり、男は何々道場で稽古をしているとか、脇差は誰の銘があるものだとか、今と変わらない浮俗の態であった。余談だが、徒人と称して,罪まではならないが日がなブラブラしている遊び人を石川島に連行して石組みなどの殖産事業を行ったのも平蔵である。
そんな江戸の庶民ではあるが,しばらく住むと地方出身者を「田舎もん」とか「きたれもん」呼んだりしているが、どうも似たり寄ったりで変わりがない。面白いことに当時の感覚も、北を背にして西を向き,文化は西からといった考えが強かったようだが、大いなる田舎人、まさに「江戸東京人」の面目躍如といったところである。
維新の薩長とて,先ずは進駐軍の威光もさることながら江戸武家や庶民文化の習得に努め一時の中央風情に浸ったものだ。
出身地では出目とか家柄があり、なかなか『旅の恥は掻き捨て』といった解放感は無いが、その『掻き捨て場』はいたる所にあるのも煩雑とた中央の特徴でもある。なかにはのっぴきならない事情を抱えて東京に来るものがいるが、ここでは民主とか人権意識がはびこり,虚勢と錯覚によって程いい営みができる重宝な地域でもある。
ないよりはあったほうが良いと思われるくらいで、なんら人格を表現することのない地位,名誉,学歴、財力は附属性価値として本質とはかけ離れた虚勢の道具立てにはなる。あるいは暴力,詐欺、奢を、勇気や知識、幸福と置きかえる錯覚に安堵するような出稼ぎ根性の一過性価値も、自由と人権と民主の名のもとに゛生き生きと活力を持って゛細菌の如く繁殖している。それらは本物の゛出稼ぎ゛の真摯な労働まで蔑んでいる。
もともと国内の文化交流は物質交易や、体制制度としての交替。庶民においては神社仏閣等の講による代参などがあるが、戦国時代などは公家落ち,平家落ちが各地に散り、鎮まりをもって特徴のある地域文化をつくりあげている。
それは゛落ち゛という境遇に加え情報の集約地域であった京の地域性からくる広い知見や、やもすれば糜爛した中央の諸芸や裏返しの゛はかなさ゛や風雅が、寂寥な心の境地と豊潤な自然とあいまって,より高度な心の゛置き所を゛薫醸している。
しかも、そのなかでも棲み分けがあり、分別もある狭い範囲の掟(陋規)である地域独特の生活規範をつくりだしている。心底には京への望郷や回帰への願望が強靭な精神の持続をたすけ、また゛落ち゛の遠因となった爛熟,糜爛,堕落を戒めたしきたりを伝統化して回帰と誇りの精神維持に勤めたのです。
現在はその地方にスポットをあて,中央のシステムや権限を移す動きがあるが、つまるところ、自制の欠如から有り余る陳腐な富と煩雑な情報に息が詰まった中央の自堕落した姿の塗り替えに他ならない。なかには偽の地方もあって権限拡散を利権の拡散として予備段階での受け皿として既成事実を作り上げているものもいる。
地方的とは地方なりに何を学び何を覚醒するかが問題である。なにもインフラが整備されたから設備を地方に移すとか、ゴミ処理事業に 補助金をつけて自営させることが地方ではない。
山が高いから削り,谷が深いから埋める。これは政策ではない。自然の循環をなぞっているだけだ。
故事に『平ならずものを平すれば平ならず』とあるが,平らでないものを平らにすれば不平がでるということだ。能力や特徴の違いがある地方や、あるいは人物をたかだか人間がつくつた評価基準で耳障りのイイ平等観念を振りまかれたのでは、おのずと不平は出る。
はたして地方のどこがよくて地方と言うのか。地方的なのか地方性なのか、自然なのか人間なのか。どうも判別がつかない流行言葉だが、それとも中央が難儀なので帰りたいのか。そんな婿養子の戯言にも聞こえる。
よく改革は地方からといわれるがシステムや制度が整っているからではない。簡単に言えば「躾」という習慣学習ができている人間が多くいるからだ。それは中央の集約される情報を価値として迎え入れるだけではなく、情報の中にあるインテリジェンスを選別する習慣学習の基礎となる分別と、自然の循環を栄枯盛衰の習いとして見分けることが可能な゛鎮まりの英知゛があるからだ。
つまり地方をどうするかより厳存する地域文化から学ぶことがマニュアル化されヒステリックになった飽和国家の応用力ではないだろうか。
科学的根拠と言う代物に生活スタイルそのものが安易にマニュアル化され、政策頓智すら編み出せない中央の環境。その環境にあるものを「中央」と呼び,地方政治も同様に中央集権の分配ステーションとして各地の功利的デリバリーを呼びみ、法人で言えば現地法人として見られている名目自治体も、体裁はいいがシステムの内情は似たり寄ったりの機構の小型化が大部分である。
最近,石原都知事も自治の回復を唱えて脚光を浴びているが、足元の実態は生半可な事では覚醒しない。どこでもそうだが公選の弊害か出先首長の腰が落ち着かない。
こんなことをいうと時代が違うとか現地を見なければ、などと゛なるほど゛という舌ハナシが飛んでくるが、どうも世間の騒情が気になるのか、鎮まりのなかで孤高な精神の涵養が適わないようだ。まるでお茶ッ引きの麗女が入り口のドアを気にする風でもあるが、そんな首長に限って盛大な送別会の宴のあとに悲哀をかこうものだ。
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