水道危機に広域化は必要か
2018年12月の水道法改正でコンセッション方式による民営企業の参入が可能となった。同時に政府は自治体に対して「広域化」を促す施策を進めようとしている。
日本の水道は基本的に市町村が経営してきた歴史を持つ。だから水道といっても実は千差万別なのだ。僕がかつて3カ月過した。高知市の土佐山(旧村)には基本的に水道はなかった。ほとんどの家では山の水を引いて生活用水としている。同じ時期に高知市に合併された旧春野町は井戸水中心の生活だった。合併後、水道を引くよう求められ、同時に下水道料金が発生することとなった。
高知市の東にある人口規模5万人の南国市は地下水をくみ上げて水道用水として使っている。つまり井戸水ということになる。だから浄水場という概念がない。地下水に「カルキを加えて水道水」としている。高知市は鏡川と仁淀川から取水し、浄水場で浄化して水道水としている。
赤字だ、人口減少だから広域化して効率化を図ればいいという話ではない。
そもそも高知市の水道は南国市と同様に地下水に依存していた。鏡川にダムができてから取水を開始し、仁淀川にダムができてからは、何キロもの導水管を市内に引いて取水が始まった。人口が増えたから地下水で賄えなくなったのかといえば、すべてがそうとはいえない。それまで使用していた巨大は井戸は放置して、河川からの取水に切り替えただけなのである。僕的に考えれば、地下水で足りない分だけを河川から取水すればいいのだ。
河川の水はタダではない。ダムの維持費として費用を負担させられているのだ。
高知市内でも朝倉地区はいまだに多くの家庭が井戸に依存している。モーターで汲みあげるから電気代はかかるが、月々大した額ではない。
高知市の平均的な水道使用量は3500円程度で、全国的にみても高い方ではない。しかし、隣の南国市は高知市の半分でしかない。隣接する地形にありながらなぜ高知市は南国市の2倍なのか。実はそんな事実さえほとんどの市民が知らない。考えてみれば当たり前なのだ。地下水を利用するかぎり浄水場がいらないからなのだ。
地下水を活用している都市は少なくない。四国では西条市が石鎚山系の豊富な地下水の恩恵を受けており、50万都市の熊本市もまた阿蘇山の伏流水を水源としており、周辺都市をも潤している。
何が言いたいのか。日本の水道事業は優れて多様性に富んでいるということである。広域化の問題はこの多様性を殺してしまうということになりかねない。地下水に依存していた市町村がある日突然、河川の水を飲まなければならなくなり、水道料金が高騰するなどはすでに起きている現象である。当然、水質も劣化するはずである。
日本国憲法では地方自治が認められているが、補助金や交付金への依存により独自性の維持が難しくなっている。そんな中で水道事業だけはいまのところ「自治」を維持している。水道料金が一番高い埼玉県寄居町や北海道夕張市などが月7000円前後であるのに対して兵庫県赤穂市は1000円以下である。7倍の格差がある分野は水道だけであろう。「受益者負担」という原則が働いた結果である。
下水道は国交省や農水省であり、補助金の対象となっているが、受益者負担が原則の上水道は厚労省で基本的に補助金はない。
2000年に入ってからの市町村の合併ラッシュで自治体は何を得て、何を失ったのか。あの時、政府は合併特例債をエサに合併を進めたが、多くの自治体では借金を増やす結果しかもたらさなかったことを思い出すべきだ。