第203臨時国会が26日、召集された。菅義偉首相は午後の衆参両院本会議で就任後初の所信表明演説に臨んだ。首相は温暖化ガスの排出量について「2050年までに全体としてゼロにする」と誇らかに語った。ロードマップもない目標など何の意味もない。まして自分が生きているはずもない30年先のことである。これは何もやらないと言っているに等しい。

2011年の東日本大震災の後、福島原発事故が起きて、当時の民主党政権は2030年までに原発を廃止する方針を打ち出した。その時でさえ、20年も待たなければならないのかという思いがあったが、少なくとも代替エネルギーとして再生エネルギーの導入を示し、太陽光発電について1キロワット時あたり42円で購入することを決めた。

安倍政権になってどうなったかというと、段階的に購入価格を引き下げ、もはや太陽光発電を企業化するインセンティブすらなくしてしまった。その安倍政権の中枢にいた菅首相が「いまさら」という感じだ。まさかと思ったが、菅首相は衆院の代表質問の答弁で「原発」について言及した。世界に趨勢に逆行する施策を打ち出したのだ。

いったん事故が起きたら人間が制御できないことが分かったにもかかわらず、まだ原発にこだわる姿勢がどうしても理解できない。

ドイツは、福島原発の事故の影響で、エネルギー政策を大きく変えた。メルケル首相は事故から4カ月後の2011年7月8日に、すべての原発を廃止するための法律を、議会で可決させた。福島原発事故の直前、ドイツには17基の原子炉があった。メルケル政権は福島原発事故が起きた4日後に、「原子力モラトリアム」を発令し、1980年以前に運転を始めた7基を直ちに停止させた。この7基と、トラブルで止まっていた1基は廃炉になり、残りの9基も2022年12月31日までに順次止めていくことを決定した。(imidas「ドイツはなぜ「脱原発」ができたの」から引用)

ドイツではメルケルのシュレーダー首相の時代から脱原子力法を成立させ、32年以内に原発を稼働させないことを決めていたからメルケル首相の対応は元々の路線を加速し、脱原発に向けて着実に歩を進めている。

風評を含めて現実に福島原発事故で被害を受けた宮城県の村井知事が女川原発の再稼働に同意したという報道が22日あった。この国では原発事故への反省もなく、再び原発依存へと舵を切ろうとしていることに心底驚いた。原発問題だけは「懲りない面々がいる」などと嘆いている場合ではないのだ。