執筆者:色平 哲郎【長野県南相木村診療所長】

今年初めから県内外の講演で「地域通貨」について触れる機会が多い。

地域通貨は、「交換」機能に限定され、一定の地域や会員だけの間で通用する利子を生まないお金のことである。

地元の経済活動を活性化し、ボランティア活動の対価としてスピーディーに流通することで、コミュニティーに新たなきずなを生み出す媒体として大変有効であることから世界の約3000地域、国内でも50カ所以上での実践が知られるようになった。ボランティア先進国の米国では、地域通貨による経済規模がすでにGDPの1割に達しているという。

現在私は、南佐久郡の山の村に家族五人で暮らしている。村の方々と接していると「お互い様」「支えあい」の感覚が身近にある。普段何気なく感じているものなのだが、このような共同体の持つ「よい部分」は、都市生活では感じ取れなかった。

もちろん、農村共同体には「わるい部分」もある。口うるさく、権威主義的、封建的で、女性につらく、50歳代になっても「若者」扱いという長老支配……。

だからこそ若者が村を去っていく現状があるのだろう。一方、移住した先の都会では、きずなを失って個としての寂しさを感じ、生きがいを求めてのことだろうか、ボランティア活動やNPO活動に関心を抱く。人と人の新たなつながりを求めているようだ。

ケアの原点「人間として人間の世話をすること」こそ、最大の生きがいとなることの再発見である。

戦後日本は、敗戦で一度すべてをご破算にした後、村々から都会に人材を集めてやってきた。頑張って働けばどうにかなる、競争して勝ち抜けばどうにかなると、勤勉に働いて富と地位を得るのが人としての使命であるとされた。

一定の成功ではあったが、結果すべてが「お金」で仕切られる社会になってしまった。「お金を払って専門家にお任せする」といった心のありよう、この依存心こそ問題の根幹であろう。

都会は、専門家やプロにならないと生き抜いていけない、お金に仕切られた空間だ。写真を撮る人(カメラマン)、お金を勘定する人(銀行マン)……。そうやって日常の一部を、お金でプロに任せていくことは便利で楽ではあるが、これに伴って失うものも実は大きい。

都会人は自分の「専門」を失ったら、アイデンティティーを見失うことになりかねない。父とか娘であるとかいった家族内の関係性のアイデンティティーは残るが、人間それだけでは生きられない。

「あなたは何者ですか」「あなたは自分の人生の持ち時間とお金を使って何に取り組むのですか」という、人間の原点とそれを支える力量や技が問われている。

日本でもいよいよ、世界的なIT不況を受けて、大手電機メーカーが次々と雇用削減策を打ち出した。建設業や不動産、大型流通店舗の「整理」もこれからが本番だ。さらに米国同時多発テロも重なり、景気の将来予測は厳しい。

11月の失業率は過去最高を記録した。雇用が流動化し新しい職場では、これまでの経験や技能が役に立たない。不安が広がりプライドが揺らぐ。各地の講演で私は「村や街のご老人方の生き方から学び取ることで、もともと地域にあった人と人のよいつながりを再構築しよう」と呼びかけている。

地域通貨こそ、その実現のために大変有効なツールであると感じている。

色平さんにメールは DZR06160@nifty.ne.jp