執筆者:文 彬【中国情報局】

年明け早々、中国と韓国の間で外交摩擦に発展しそうな事件が起きた。韓国国会の「人権フォーラム」所属の野党・ハンナラ党議員ら4人が中国へ渡航しようとし、在韓中国大使館に入国ビザを申請したが、1月4日中国側からその発給を拒否された。そして1月7日、4人は中国側の事前協議もない一方的な入国拒否を不服として抗議する声明文を中国側とマスコミに送りつけた。中国外交部や在韓大使館はすでに中国側の見解は韓国側に伝えたとして決定を撤回する意志はないと表明したが、このままことが収まりそうにもないだろう。

4人の渡航目的は在外同胞法の改正にあたり、在中コリアンに対する実態調査を行なうためだ。在外同胞法は在外韓国人の韓国への出入国と大韓民国内における法的地位を保障することを目的とするものだったが、大韓民国が建国される以前に(1948年までに)海外に移住した海外在住韓国人が対象外となっているため、昨年憲法裁判所でこれを違憲とする判定が下された。これを受けて、韓国政府は在外同胞特例法を制定しようとしたが、コリアンの多く居住するロシアや中国からの猛烈な反発に遭い、更に外交通商省も外交問題に発展することを恐れて反対の立場を取ったため、特例法は宙に浮いたままになっている。こういった背景の中で起きた出来事であるため、韓国のマスコミが大きく取上げたのと対照的に、韓国政府の反応は慎重そのものだった。外交通商商長官も「注意深く見守っている」という外交辞令的なコメントにとどめている。

●満州に新天地を求めるコリアン

特例法に反対する中国の理由ははっきりしている。特例法が実施されれば、中国国内にいる朝鮮族(中国では在中コリアンのことを「朝鮮族」「朝族」「鮮族」等と呼んでいる)にも適用され、事実上の二重国籍になるため、中国の法律に抵触することになるのだ。もちろん、ただでさえ少数民族問題に悩まされることの多い中国政府が密かに恐れているのは特例法によって朝鮮族にも混乱が波及することである。

朝鮮半島と陸続きの中国には古代からコリアンが居住してきた。満州でいち早く稲作を始めたのはまさにこのコリアンの人々だと言われているが、19世紀後半、衰退した清朝が封禁政策(清国は、民族の発祥地である満洲を「封禁の地」とし、漢民族だけでなくモンゴル人やコリアンの進入も許さなかった)を解いてからコリアンは豊沃な土地を求めて大挙して朝鮮半島から鴨緑江や図們江を渡ってきたのである。20世紀初頭、コリアンは国境に近い満州に数多くの集落を作り稲作を中心に生計を営み、その人口は7万人を超えていた。

さらに朝鮮総督府時代、「土地調査事業」という名目の植民地政策が強行され、近代的土地所有の概念を持たなかった多くの朝鮮農民が天皇、皇族が株主となっていた東洋拓殖株式会社に土地を取上げられた。このように土地喪失によって貧困化した農民達が故郷を背に満州の地に生計を求めてきたため、在中コリアンは増加する一方だった。終戦時、その数は165万人にも上っていた。

終戦後、在中コリアンには故郷へ引き上げるチャンスがあったが、それでも100万人以上の人々が祖国に帰る道を捨てて満州に住み続けた。そしてこの100万人が現在の朝鮮族の母体となり、今では約200万人に膨脹したが、内地に流出する者はほとんどいなく、全体の97%以上が満州、それも主に鴨緑江や図們江流域に集中して暮らしている。ちなみに、現在海外で生活する、いわゆる在外コリアンは120数カ国に分散し、コリアン民族全体の一割弱に相当する約530万人と言われているので、その40%近くを中国の朝鮮族が占めていることになる。

大連にも関東州時代から生活している朝鮮族の人がいるが、ここに暮らしている満州族やその他の少数民族と同じように彼らも漢民族に限りなく同化しているため、町で朝鮮の空気を感じることはほとんどない。ところが、瀋陽や撫順の町を歩いてみると、色鮮やかなキムチを売る露店やいたる所に点在する朝鮮冷麺の店舗に目を奪われ、時には頭に大きな荷物を載せた朝鮮族のお婆さんを見かけることもある。瀋陽と撫順は大連よりも比較的朝鮮半島に近く、朝鮮族も多く生活しているからである。

さらに瀋陽から汽車で北上すること約20時間、辺境の町・吉林省の延吉に出ると、一瞬ここが中国かと目を疑うほどの圧倒的な朝鮮の雰囲気が感じられる。駅の待合室に集まる乗客の間では韓国語が飛び交っており、商店街の看板にも中国語と並んでハングルが記されている。チマチョゴリを身に纏う女子中学生は列をなして町を歩き、スーパーの開店セレモニーでは必ず朝鮮舞踏が披露される。ここ延吉は在中コリアンがもっとも密集している都市だ。

延吉は82万人が住む延辺朝鮮民族自治州の州都であり、コリアン文化がもっとも花開いているところでもある。学校教育も韓国語によって行なわれるところが多く、高校を卒業して内地の大学に進学した少年少女が自由に中国語を操ることができず、ちょっとした社会問題として取り沙汰されたほどである。国立の延辺大学は1949年に設立された全国初の少数民族大学であるが、この町の朝鮮族の学生を中心とする大学は現在6校もある。

●故郷喪失を再び経験する朝鮮族

長白山(白頭山)は、延吉から350キロ離れた西南の国境を跨るようにそびえ立ち、風光明媚の自然に恵まれる数少ない北国の名観光地の一つとして毎年多くの観光客が来ている。特に標高2000メートル以上の山頂にある「天池」という火山湖は密境の絶景として世界的にも有名だが、これも半分は中国、半分は北朝鮮のものとなっている。韓国の観光客は北朝鮮ルートを利用することが出来ないので、通化や延吉を経由して中国側から登山している。そのため、長白山の旅を商品とする旅行社がたくさん現れ、韓国から来る観光客を接待する施設も相次いで作られている。

また、長白山はただの観光地ではない。ここは満州人にとってもコリアンにとっても神聖なところだ。満州人とコリアンの起源に纏わる神話は、どれも長白山が舞台となっているのだ。満州族が中国を統治していた数世紀の間ここは入山禁止令が敷かれ、コリアンも同地域から締め出されていたが、韓国と北朝鮮の国歌にも出ているほど、憧れの心の故郷として朝鮮半島にいるコリアンなら誰でも一度は行ってみたいと思っているようだ。

だが、故郷を離れ北上してきた朝鮮族の人々にとって長白山にまつわる神話はあくまでも虚構の世界で、彼らが生きる現実からはあまりにもかけ離れすぎている。彼らの大半はまず朝鮮半島を自分の故郷だと思っている。そこには自分の祖先が生まれた村があり、血の繋がった親戚も大勢暮らしているからだ。昔は国交のあった北朝鮮しか訪問することができなかったが、今は韓国も門戸を開いている。しかし、それよりも朝鮮半島から来た人々の方が圧倒的に増えている。但し、韓国から来るのは観光客やビジネスマンだが、北朝鮮から来るのは飢えと貧困に耐えられぬ人々だ。

北朝鮮からの難民は今日になって起きた問題ではない。50年代初頭の朝鮮戦争の時にも戦火を逃れて鴨緑江を渡ってきた人が大勢いた。戦争が終わってからも故郷へ戻らず中国で暮らし続けてきた人も多くおり、今もその中の8000人余りは国籍が北朝鮮のままでいる。

金正日体制後、厳しい国境警備にも関わらず難民が中国側に大挙して押し寄せてきた。しかし、中国当局は北朝鮮との関係が何よりも重要だと判断しているため、流入してきた北朝鮮人を難民とは見なさず強制的に帰還させている。捕まった難民は北朝鮮の国境警備隊の手に渡るとすぐ奴隷のように胸縄から後ろ手に縛り上げられ、時には針金で繋げられ鴨緑江の向こう側へ消え去る。逃げてきた北朝鮮人の中で、朝鮮族の親戚に助けられ息を忍ばせながら生き延びてきた幸運の人、あるいはチャン・ギルス君一家7人のように様々な危険を冒して韓国にたどり着いた幸運の人もいるが、大半は惨い強制送還の運命にあわざるを得ない。

このような悲惨な光景を目のあたりにしている朝鮮族の人々が北朝鮮に対して抱いているイメージは否定的なものばかりだ(彼らが北朝鮮を訪問して得たイメージにも良いものはない)。これと同時に北朝鮮への帰属心も完全に失っている。かといって韓国に対してどうかと言えば、やはり親近感は薄い。いや、対北朝鮮以上に冷えているものがあると言えるかも知れない。

1992年8月24日、中国と韓国は国交を樹立し、朝鮮戦争以来続いた敵対関係に終止符を打った。それ以降、韓国人と朝鮮族の相互訪問は年々多くなり、ビジネスや文化的な交流も日増しに盛んになってきた。しかし、同文同種であるはずの韓国人に対してアイデンティティを夢見たのもつかの間、韓国人は明らかに違う世界に属していることに気づいた。そしてお互いに相容れない場面も日増しに増えてきた。近代化に憧れてソウルに来ても所詮貧しい出稼ぎ労働者と見られ、自分が生活している朝鮮族の環境とあまりにもかけ離れており溶け込むことができない。まったく問題ないはずのハングルでさえ、外来語が氾濫しているため、朝鮮族の人には通じないことが多い。

そして、最も韓国に憧れていた朝鮮族の人々の心を傷めたのは、韓国から来た一部のビジネスマンの行動だ。彼らは朝鮮族のはやり遅れの服装や習慣をあざ笑ったり、企業に来る朝鮮族の人々をこき使ったり、カラオケバーに勤める同胞の女性を「キーセン」(妓生)同様に扱ったりし、同胞の感情のかけらも感じられない。朝鮮族の人々は信じがたい現実を前に故郷喪失を再び経験したのだ。しかも、今度は過去に思いを馳せていた心の故郷を失ったと言えるのかも知れない。

今の朝鮮族の人々は北朝鮮とも韓国ともアイデンティティを共有できないことをはっきり分かっている。彼らは自分が「朝鮮系中国人」や「韓国系中国人」だということよりもまず「中国人朝鮮族」だと自認することに躊躇することはない。彼らは自分が手にしているのは中国政府の発行しているパスポートだと十分認識しているし、またこれに対してさほど不満はなさそうだ。この点において、在日コリアンよりも今の「中国人朝鮮族」の独自性の方が強いかも知れない。

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北朝鮮、韓国、そして中国人朝鮮族、このトライアングルはいつか崩れて一心同体になるという高校時代の親友金君の父親から聞いた話を思い出される。親友の父親も長白山で活躍していた東北抗日連軍の幹部で、終戦後多くの戦友と同様に朝鮮に戻らず中国の農民に稲作を普及する「中国人朝鮮族」になった人だ。金君は北朝鮮と韓国の両方に親戚がいるので、誰よりも朝鮮半島の平和を祈っていたが、今は多分南にも北にも行っているだろうと思う。もう一度お会いして彼の父親に聞きたい。在外同胞法に対しても直に意見を聞いてみたい。

文さんにメールは bun@searchina.ne.jp