先制攻撃への代償と北東アジアの一員としての日本の役割
執筆者:中野 有【ブルッキングス研究所客員研究員】
米国はイラクの武装解除を目的とした先制攻撃を容認した。米国のような民主国家が間違った選択をしたと見えるが、米国の国家戦略がその背景にある。9月20日に発表された米国の国家安全保障戦略では、テロ、ならず者国家、大量破壊兵器の技術が最大の脅威であり、それに対し先制攻撃の必要性と、同時に中国やロシアといった冷戦中の敵国に対し多国間協力により平和への信頼醸成構築の重要性を唱えている。米国の戦争容認までの非常にオープンな過程を通じ米国の健全な姿勢は理解できるものの、先制攻撃が及ぼす影響について更なる議論が必要であると考えられる。
先制攻撃は最大の防御である。その戦略に従い日本は真珠湾に奇襲攻撃を仕掛けた。その代償と結末が広島と長崎への原爆投下であった。歴史は先制攻撃に対する犠牲の大きさを示している。戦前、「大東亜共栄圏」の構想に関わった石原莞爾は「世界最終戦論」の中で「アジアの選手である日本と欧米の代表である米国が世界大戦の決勝戦を行うことになり、どちらかが原爆という大量破壊兵器を使用し、これにより人類を滅亡させる大規模戦争の意味がなくなり恒久的な平和が到達する」と予言した。石原の予言は、被爆という人類史上最大の犠牲により平和がもたらされるというものであり、日本いや世界はこの犠牲を無駄にすべきでない。
米国の主張と同様にフセイン大統領の戦歴からすると大量破壊兵器使用の可能性は高い。ヒトラーのような存在は早期に武力解除しなければ取り返しのつかないことになるとの主張もあろう。911の同時テロがなかったとしたら米国はここまで先制攻撃について語らなかったであろう。事実、ミサイル防衛についての議論が減少し911以降、防衛から先制攻撃に変化した。
米国が戦争ムードである中、カーター元大統領のノーベル平和賞の受賞が発表された。カーター大統領の主張は、紛争を未然に防ぐ「予防外交」でありブッシュ政権の国家安全保障戦略とは大きく異なる。日本は世界で唯一原爆という洗礼を受け恒久的な平和を追求する国家となった。日米同盟は平和のために存在するとするならば、日本は米国に対し先制攻撃に対する代償や世界経済に及ぼす影響等に関する政策提言を行うべきであろう。少なくとも湾岸戦争の時のような小切手外交として参加するという経済的な余裕はないとすると平和への主張を堂々と行うべきであろう。また北東アジアの一員として中国やロシアともテロに対する多国間の協調について戦略を練るべきであろう。
筆者は、カーター氏の信念である平和構築に賛同するも、イラクという湾岸戦争に負けたにもかかわらず国連の査察を拒否し続け、紛争を醸成している国家に対し強硬姿勢で臨むことが不可欠と考える。米国で感じるのだが、バリ島のテロ事件等を見て911の同時多発テロの被害を受けた米国がならず者国家や、テロリストや大量破壊兵器の技術に真っ向から対決しなければ世界秩序はますます混乱し混沌とした世界が訪れると考えられる。
日米同盟という視点で考えると、米国のムチと日本のアメを調和させる、すなわち「餅屋は餅屋」の考えで世界の安定に大きく貢献できる可能性が生まれると思われる。平和ボケしている日本は、カーター大統領のように平和を追求する姿勢を貫くことにより日本の平和構想が貫徹できるのではないだろうか。
本日も米国国務省の分析官とこのような話をしていたのだが、大陸進出と先制攻撃の報復として原爆という洗礼を被り日本の平和構想が生まれたのだから本来気骨があるのみならず恒久的なものであると同時に世界に発信するに値するものであろうとのことに対し反論は受けなかった。歴史が証明している先制攻撃への報復を考えれば米国単独でイラクに攻撃することはありえないと考える。しかし、米国が国家安全保障戦略としてテロに対する世界の世論を高める努力を極限まで行わなければ世界は混乱する。日本の平和思想を日米同盟の一環として提唱する時期がきていると信ずる。日本がカーターで米国がブッシュとすると日米同盟が生きてくるのではないだろうか。