執筆者:大西 広【コロンビア大学東アジア研究所招聘学者】

ここ半年私はニューヨークにあるコロンビア大学の東アジア研究所の招聘学者としてのポジションをいただいているが、さすがに全米でも屈指の大学だけあり、ハイレベルのセミナーに参加する機会が多い。とりわけ、イラク攻撃問題とともに重要テーマとなっている北朝鮮問題では当研究所主催のレクチャーで加藤駐米大使の話を直接聞くことができ、またロシア系シンクタンクが主催しKEDOメンバーも報告に入るようなメンバー限定の小討論会などが大変刺激的であった。日本ではなかなか得られない機会である。が、結論的にはアメリカ人と我々東アジアの人間との認識ギャップの大きさに驚いたということになろうか。ここではこれらのセミナーでの様子などを読者と共有することを通じ、ここニューヨークの地から北朝鮮問題について考えてみたい。

それでまず率直に言わなければならないことは、日本ではずっと「親米派」であるはずの加藤駐米大使の発言さえ「穏健派」に映るほど、ここアメリカでの議論が右に偏っていることである。たとえば、アメリカ人はすぐに”制裁”を要求する。これは多くの場合軍事的なものも含んで語られているが、軍事的手段を過大評価するアメリカ(少なくとも現政権ではそう)にとれば、核開発宣言をした北朝鮮に対して日本は何もしていないように映る。「じっとしていれば今にも核武装して攻めてくる。どうするんだ!」と迫るアメリカ人の姿を何度か目撃した。やはり戦争を避けたい日本と戦争で被害を受けないアメリカとの客観的位置の相違を感じる。先月行なわれた『タイム』とCNNの世論調査ではアメリカ人の62%が北朝鮮の核施設の稼働には施設の軍事的破壊で答えるべきであると回答している。戦場化するのは遠い国のことと考えて「瀬戸際外交」をしているのはアメリカの側ではないだろうか。

それに対し、もっと直接的に戦争の無益さを主張しているのは韓国である。論者により違いはあるものの「北朝鮮を攻撃したらどうなるか」を現実の問題として考えられる彼らは総じて「攻撃してはならない」とはっきり主張している。コロンビア大の別のセミナーでも韓国人参加者がフロアーから「太陽政策以外に選択枝はない」と明確に主張していた。やはりこれが韓国人の平均的な感覚でそれが盧氏をして大統領に押し上げた客観的な背景であろう。盧次期大統領の発言は最近の訪韓与野党に対する会談においてもこの線で一貫している。

さらにもうひとつ、アメリカ人の好戦的な姿勢の背景にあるとんでもない仮定にも驚いた。これは日本で報じられているのかどうか大変気になるが「北朝鮮の核武装絶対阻止」の彼らの根拠はそれを阻止できないと韓国も日本も核武装に進むからだという。これがアメリカの「東アジア専門家」によって語られているというのは恐ろしい限りだ。彼らは日本の世論状況を理解する力がないのか、それともその気がないのか。こうした説明を私は別々のセミナーで3度も聞いた。1度はそのロシア系シンクタンクの基調報告で、また2度目はコロンビア大学のセミナーの「東アジア専門家」の口から、また3度目は全米から集まった「東アジア専門家」の院生コンファレンスの報告者の口からである。信じられないが、これは特殊な見解ではない。一般的な見解となっているのである。

その上で、この種のセミナーにせっせと出席をし、かつ必ずフロアーから質問をする女性の発言にも言及しておきたい。彼女は前政権の国務省職員であったというからその発言には重みがあるが、彼女の意見は「インドやパキスタンの核武装には何も言わない。どうして北朝鮮には核武装の権利がないのか」という根源的なものである。この質問を受けた報告者はいつもたじたじの回答しかできていない。彼女の意見では「日本もまた核武装の権利がある」ということになって、さすがそこまではついて行けないが、核兵器を保有する国の方が一生懸命に北朝鮮の核武装の危険を主張するとは奇妙な現象である。ロシア系シンクタンクでのセミナーで、核を保有するロシア人とアメリカ人がそれを持たない日本人と韓国人に核は危険だと一生懸命に説明しようとした。でも危険性をよくよく知っているのは我々の方だ。だからこそ聞きたい。それなら何故、君たちは「核兵器全廃条約」に反対するのか。

しかし、彼らの答えははっきりしている。つまり「我々は北朝鮮のような危険国家でない」。が、ロシアは実際に危険だった。また北朝鮮からすれば日本は本当に侵略国家であったし、今でも靖国に首相が参拝をしている。そしてまたアメリカはどうか。彼らの目からした時、国連決議なしに先制攻撃を口にする国家ほど危険な国家はない。自国の問題を忘れて他国のみを非難する姿勢からは否定的な反応しか得ることができない。

このことを特に感じたのは、このロシア系シンクタンクのセミナーの直後に隣にあるアジア文化センターで開催されていた中国映画祭で中国の原爆開発の映画を見たからでもある。五十年代に始まる中国の核兵器開発はいわば「悪の枢軸」国家時代のものであったが、その時に「われわれ」はその開発を阻止できなかった。が、だとしても我々は現在中国の核に怯えて生きている訳ではない。つまり、鎖国の中国は改革開放の中国に代わり、核戦争は現実的な問題ではなくなった。国際社会に求められているのはこうした努力ではないだろうか。韓国の太陽政策とはその意識的追求である。「最大当事者」の韓国がそう努力し、日本政府にも北朝鮮との国交正常化を求めている時、その方向で協力するのが隣国の友人のすべきこと考えるがどうだろうか。(京都大学教授)

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