北朝鮮に爬虫類的反応を強めるブッシュ政権
執筆者:大石 幹夫【ニュージーランド・カンタベリー大学研究員】
国際関係論では「脅威」は重要なテーマである。とくに国際安全保障論では、脅威にどのように対処して国の安全を確保するかがその目的の全てだと言ってもいいだろう。しかし脅威にばかりかかわずらっていることは、人間としてあまり高級なものではない。そのことは例えば大脳生理学によってもうかがえる。人間の大脳は三つの層をなしているという。一番奥にあるのが視床下部、その次が大脳辺縁系、一番外側が大脳皮質であり、それぞれ生存本能、感情、理性と関係がある。
このため各部は爬虫類脳(reptilianbrain)、旧哺乳類脳(paleomammalian
brain)、新哺乳類脳(neomammalianbrain)とも呼ばれ、生物は進化の過程で、より高次の価値に反応するようになったそうだ。脅威には主として爬虫類脳が反応し、攻撃に出るか逃げるかを決める。理解、信頼、連帯とかいう高次の価値には新哺乳類脳が反応する。ここに脅威が伝えられても、新哺乳類脳は脅威を理解しようとする。つまり人間は脅威に対し爬虫類とは違った対応ができるのだ。
こんな迂遠ともみえる議論を持ち出したのは、北朝鮮の問題を考えてみたいからである。NZに住む私が指摘するまでもなく、日本は今、北朝鮮の核とミサイルの脅威とどう向き合うかという深刻な問題に直面している。平和ぼけと言われて久しい日本であるが、1998年8月のテポドン発射及び今回の核開発をめぐる危機によって、日本人は、今ようやく、北朝鮮の脅威を実感し始めたようだ。石破防衛庁長官は、北朝鮮が「東京を火の海にする」と威嚇した場合を想定してみせた。その場合、ミサイルに燃料を注入し始めた時を日本への攻撃開始とみなし、その時をもって日本は自己防衛のため北朝鮮を攻撃できると言う。しかし私たちは、脅威に過剰反応し、事態をさらに悪化させるべきではない。
日本はこの点に関して韓国の経験から学べるのではないか。同国は、朝鮮戦争終了後も50年間「北の脅威」にさらされ、北朝鮮から「ソウルは火の海になるだろう」と言われ続けてきた。その韓国が、徹底した話し合いによって北朝鮮との問題を解決することを主張する盧武鉉(ノ・ムヒョン)氏を次期大統領として選んだ。盧武鉉氏は朝鮮半島にはもはや戦争という選択肢はないと主張する。これには二つの意味がある。
一つは、かりに戦争になれば、韓国、北朝鮮それにお隣の日本の物理的・経済的な壊滅により、勝者はなくみんなが敗者となる。それは最近の米国のスターズ&ストライプス誌に掲載された、朝鮮半島で戦争が起こった場合の予想シナリオによっても明らかである。
http://www.estripes.com/article.asp?section=104&article=12438&archive=true
開戦と同時に、休戦ラインに結集する北朝鮮軍から、数時間の間にソウルに30万発から50万発の砲弾が降り注ぎ、死者は最初の24時間で100万人にのぼるという。また世界第3位の化学兵器保有国であり、炭素菌、サリンを持つ北朝鮮がこれらの兵器を使ってミサイル攻撃する可能性も高い。一方、北朝鮮は、韓国、日本の米軍基地さらに米空母キティホークから発進した爆撃機の攻撃により焦土と化し、「石器時代に逆戻り」する。
戦争はついには米韓連合軍が勝利するにしても、そのような勝利にどのような意味があるのか。北朝鮮の滅亡は言うまでもなく、韓国の産業基盤は壊滅的打撃を被るだろう。日本も北朝鮮の攻撃を受け、甚大な被害を被るだろう。戦域弾道ミサイル防衛(TMD)が仮にあったとしても、これで防ぐなど不可能に近い。正気のどんな人間がそのような戦争を選択肢の一つに加えることができよう。あらゆる外交的手段を使って北の核開発をやめさせ、問題を平和的に解決するしかないのである。
盧武鉉氏が、戦争は選択肢にないと言うもう一つの意味は、北朝鮮と韓国との間にはもはや紛争はないということである。朝鮮半島の2つの異なる政治・経済・社会システム同士の競争・対立は、第二次大戦後一貫して続いて来たが、90年代の半ばまでには、韓国が勝利し、北朝鮮が敗北したことが明らかになった。それは、言うまでもなく、北の食糧・エネルギー危機と体制崩壊の危機と言う形で現れた。一方、競争に勝利した韓国は、経済の成功と民主化の進展により自信を深め、金大中政権のもとで懐の深い対北政策をとれるようになった。この路線をさらに推し進めようとする盧武鉉氏は、朝鮮半島には紛争はもはや存在しないと喝破している。
問題の本質は、北朝鮮の核開発の脅威ではなく、金正日体制の存続の保障と北の経済立て直しの援助である。そこには戦争に訴えなければならないものはなく、どうやって目標を実現していくかの技術上の問題があるに過ぎないと言う。従って、北朝鮮に対する基本姿勢は、紛争の相手国に対するそれではなく、開発援助の相手国に対するそれである。安全への脅威はある。しかしそれによって問題の本質を見失うべきではない。
今、問われているのは、北朝鮮からの脅威に反応するか、同国の国内建て直しへのニーズに反応するかということである。韓国は後者の道を進もうとしている。北からの脅威に「爬虫類的」に反応せず、北朝鮮の再建に協力する態度を貫こうとしている。この姿勢は「人間らしい」と思う。
それに対し、ブッシュ政権下の米国は後者から前者にその北朝鮮政策の軸足を移動しつつあるように見える。韓国が北の脅威に対する認識が甘いこと、「事態をまるで他人ごとのように思っている」ことを批判しているが、日本政府もそんな米国に追随する兆しが見える。韓国の態度が「人間的」であるのに対し、ブッシュ政権の態度は「爬虫類的」である。
「爬虫類的」反応によって脅威の連鎖反応あるいは拡大再生産が起こり、事態がいっそう悪化する危険がある。事実、2002年後半の食糧追加支援の拒否、昨年の12月以来の重油の供給ストップに加え、このところの朝鮮半島周辺への米軍の増強といた米国の強硬路線を、北朝鮮は米国による戦争行為とみなし、すでに臨戦態勢に入っている。電気も冬の寒さをしのぐ暖房もストップし、国際社会の食糧支援が減り、春までに400万人の子供が餓死するのではないかと言われる惨状の中、北朝鮮の人々の米国への憎しみが増大している。
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/asia-pacific/2754077.stm
自暴自棄になった北朝鮮が、米国に先制攻撃をしかける可能性が浮上してきている。脅威は現実にそこにある。
しかし、目先の脅威に動じないで朝鮮半島問題の本質を見抜く見識をもち、そこから適切な行動を選択すること、これが今の日本に求められている姿勢であると思う。この姿勢を私たちは韓国の50年以上に及ぶ北朝鮮との向かい合いの経験から学ぶべきである。
大石さんにメールはE-mail:mikionz@xtra.co.nz