執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】

週末、妙高高原で開かれていた信州自由学舎の勉強会に参加した。東京から中央高速に入り、途中、安曇野に立ち寄った。勉強も去ることながら、残雪と新緑の信州を堪能した。妙高までの道のりは標高が上がったり下がったりだから、何度でも満開の桜の花に遭遇し、幸せを感じるドライブであった。

自由学舎の勉強会は小布施の内坂ドクターと南相木の色平ドクターらが中心となってかれこれ10年開かれている。最初は信州に来ている外国人をどうやってサポートするかが論議されていた。そのうち、どうして彼らが信州の山奥まで出稼ぎに来なければならないのかという根源の問題にまで議論が広がった。

議論を進めていくうちに、国際経済や国際金融の問題を議論せざるを得なくなった。突き詰めると「お金」いや「マネー」ということになる。田中康夫知事が誕生すると「地方のあり方」も論議され、どうしたら信州を誰にとっても住みやすい地域にすることができるようになるかというところまで議論が深まる。

参加者は初めは、外国人支援の活動家が多かったが、議論の広がりとともに多彩になった。いまでは、農家の奥さんから県庁の役人まで幅広い。県内だけではなく、筆者のように東京や名古屋、茨城、京都からもやってくる。

デンマークなど北欧の国々には100年以上も前から農村地帯に「フォルケホイスコーレ」という農民高等学校が多く設立された。提唱したのは19世紀の詩人だったグルンドヴィヒという人である。主に農閑期に共に暮らし共に学ぶ学び舎である。キリスト教の精神を基礎に農民の知識や意識のレベルアップを図る国民的運動に発展し、結果的に豊かな国家を形成する地殻変動をもたらした。

日本では80年ほど前から賀川豊彦や内村鑑三らによって「デンマークに学べ」とばかりに農村福音学校が次々と開設されるという歴史もある。そもそも江戸時代から、二宮尊徳や大原幽玄らによる農村復興運動があったから、考え方としてとりたてた新しいものではなかったが、農村復興が国の基礎であるという意識改革をあらためてもたらしたことは確かだった。

自由学舎に参加して思い出したことはそんなことだった。そんな勉強会が信州ではいくつか生まれている。たぶん信州以外にもいくつも生まれているのだと思う。

近代このかた、社会は人々が都会へ都会へとなびくようにつくられてきた。働く場はもちろん楽しむ場だってそうだし、教育も医療もすべてが都会に有利になる社会であった。

地方の時代といわれて久しいが、実態は中央との格差拡大だった。自治といわれても独立自尊の精神が培われないかぎり、地方はいつまでたっても哀れみを請う立場から逃れられない。自ら考え、自らの資力や知力で社会を動かすことを始めないかぎり、自分達の時代はやってこない。

そんな他力本願が横行する社会において、信州の山奥で「参加したい」と思わせるような勉強会が生まれていることは勇気付けられることなのだ。(続)