Qちゃん落選、「予定調和」を覆した土佐礼子の快走
執筆者:成田 好三【萬版報通信員】
3月はひと月早く訪れた「残酷な月」になった。アテネ五輪に関わる新聞、TVなど主要メディア、大手広告代理店関係者にとっては、3月は驚きと失意の月になった。3月はまだ半ばを過ぎたばかりだが、彼らにとっては既に終わってしまったのも同然の月になってしまった。
彼らの驚きと失意の理由は明らかである。彼らにとっての、アテネ五輪の「目玉商品」が二つとも一瞬のうちに消えてしまったからである。一つはミスター・ベースボール、野球の五輪代表監督、長嶋茂雄氏の病気である。脳卒中で倒れた長嶋氏はアテネの野球場には立てなくなった。長嶋氏が奇跡的な回復をしたとしても、酷暑のアテネの現場で選手を直接指揮することは無理になってしまった。
もう一つは、Qちゃん、シドニー五輪に続いてアテネで連続金メダルを狙うはずだった高橋尚子が、女子マラソンの代表を逃したことである。長嶋氏については後日に触れるとして、今回は大本命・高橋の落選に至ったマラソンの五輪代表選考について、改めて考えてみた。
五輪の国内選考レースの第一レースになった昨年11月の東京国際女子に出場した高橋は、後半失速した。エチオピアの選手に抜かれて2位に終わり、記録も2時間27分台と平凡なものだった。
しかし、高橋は日本陸連から最大級の配慮を受けた。女子選考レースにおけるペースメーカー(PM)の導入見送りである。有力選手がそろった1月の大阪国際女子では、この配慮が功を奏した。序盤から有力選手が牽制し合う展開となった大阪では、優勝した坂本直子以外は、東京での高橋の記録を上回る選手は出なかった。
最後の選考レースである名古屋国際女子(3月14日開催)は折り返しやカーブの多い難コースである。例年、気温も高い。今回も20度近い、冬場のレースとしては高温の気象条件になった。大阪と同じくPMはいない。PM役を担うと思われた外国人選手はその役目を果たせなかった。
名古屋に出場した最有力ランナーで、2001年の世界陸上銀メダリストある土佐礼子は故障で2年間もマラソンから遠ざかっていた。今回も右足かかとの痛みを抱えており、十分な走り込みはできていなかった。32キロ過ぎではトップを並走していた田中めぐみに引き離された。そのまま田中が優勝しても、実績からみて高橋の代表選出は確実だった。
この時点では、陸連の選考委員はすべて、女子マラソンの代表は、既に内定している昨年の世界陸上銀メダルの野口みずき、大阪で優勝の坂本、そして東京2位の高橋に決まったと確信しただろう。しかし、32キロ以降の土佐の走りは、陸連やその背後にいる新聞、TVなど主要メデイア、大手広告代理店関係者の「予定調和」を覆してしまった。レースをめぐるすべての悪条件を克服してしまう、常識破りの快走だった。
陸連理事(選考委員)である増田明美氏は、選考決定後にTV番組に出演して、陸連は高橋を選びたかったが、高橋を選ぶ理由が見つからなかったとの趣旨の発言をしていた。陸連の本音を語ったものだろう。
読売新聞は3月15日付夕刊の最終版で「Qちゃん五輪代表へ」と見出しに打った誤報を掲載した。これも、高橋をどうしてもアテネに連れて行きたいメディア業界の本音の表出とみてもいい。読売新聞は、アテネ五輪に関してJOCの公式スポンサーになるなど最も五輪を重視する経営戦略を取る主要メディアであるからだ。
名古屋の翌日、マラソン代表選手を発表する沢木啓祐・陸連強化委員長の顔は疲れと緊張からか少し蒼ざめて見えた。その席で沢木氏は「選考基準、システムの変更」に言及した。記者の質問に答えて、「選考会、選考姿勢について検討をという話が(選考原案作成委員会、理事会で)でました。毎回毎回、変えるつもりはありませんが、修正すべきところは修正すると」「この現実を見ますと、選考基準、システムの見直しが必要かなと思います」と語っている。しかし、沢木氏の会見では、沢木氏の口からも記者の質問からも、中山竹通氏が主張した「一発選考論」はでてこなかった。
陸連や沢木氏、それに主要メディアが考えている以上に、スポーツは変容し続けている。陸上競技でも、五輪でメダルを狙える有力選手はプロ化、あるいは実質的にプロ化している。プロ化した選手は権利意識に目覚めている。そうした選手の周辺には選手と金銭面も含めて利害関係を共有する多くの関係者がいる。
陸連と同様に、あるいは陸連以上に古い体質をもつ日本水連では、シドニー五輪代表選出で千葉すず選手を恣意的に代表からはずした決定が引き起こした混乱の反省から、アテネ五輪選考では「一発選考」を採用した。昨年の世界水泳で100メートル、200メートル平泳ぎを世界新記録で制した北島康介でさえ、4月の日本選手権で失敗すれば、代表に選出されることはない。
スポーツ大国である米国も、好きこのんで「一発選考」を採用しているわけではない。多民族国家であり、選手の権利意識が強く、訴訟社会である米国では、競技団体が曖昧な選考基準で恣意的な五輪代表選考をすることなど許されないからである。仮にそうした選考をした競技団体と責任者は訴訟に持ち込まれ、莫大な賠償金を支払うことになるだけである。
ソウル、バルセロナ、アトランタ、シドニー、そして今回のアテネと、マラソンの五輪代表選考には混乱がつきまとう。沢木氏の言う「選考基準の見直し、システム変更」は単なるリップサービスなのか。それとも陸連は本気で取り組むのか。スポーツに対する選手や国民の意識は確実に変化している。「密室」での選考を続けるのか、それとも、もっと透明性のあるシステムに改めるのか。
土佐の快走が「予定調和」を覆してしまったことにより、陸連とその背後にいる関係者は正念場に立たされた。陸連が本気でシステムの見直しを行うならば、主要メディアが毛嫌いする「一発選考」も含めて、あらゆる選択肢を排除せず、選考方法を抜本的に見直すべきである。(2004年3月17日記)
成田さんにメールは E-mail:narita@mito.ne.jp スポーツコラム・オフサイド http://www.mito.ne.jp/~narita/
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