執筆者:齊藤 清【萬晩報通信員】

【コナクリ発】世界の終わりを演出したがる人々の世俗を超越した言葉にあてられて、すっかり人事不省に陥り、寝食を忘れて昼寝を続け、メルマガの発行を怠けていたお詫び代わりに、今回はギニアの金にまつわる四方山話をこっそりお届けしたいと思います。――あくまでローカルに、あくまで内緒に、ということで。
◆幻の金の産地
ギニアには、金の採掘をしている会社がいくつか存在しています。またマリ国境に接する高地ギニア地方では、一般の村人が生業として、何百年も前から現在に至るまで人力だけで金を掘り続けています。
13世紀に入り西アフリカで大きく勢力を拡げていた中世のマリ王国は、金の豊富な国として地中海世界やヨーロッパにまでその名をとどろかせていました。サハラ砂漠をラクダの背に乗って北上した西アフリカの金が、北アフリカを経由して遠くヨーロッパにまで届いていたのです。ただし、金産地の実際の場所は、当時のヨーロッパ人にとっては幻のままでした。
この当時のマリ王国の首都は、現代の地図で言えば、マリとの国境に近いギニアのニアニという町でした。――現在市販されている唯一のギニア地図は、フランスで発行された百万分の一のものですが、これはミスの多い印刷物で、ニアニの位置はとんでもないところへ移動させられています。
この金産地を突き止めることが、後の大航海時代のヨーロッパ勢力による「アフリカ探検」の動機のひとつとなっていました。そして1796年になり、イギリスの探検家マンゴパークが、大変な苦労の末にニジェール川上流地域の金産地に、ヨーロッパ人としてはおそらく初めて到達しました。彼は、金、象牙、奴隷に関する情報収集の任務を帯びていた、とその日記に記しています。ここが現在の高地ギニアの版図に重なる土地でした。
◆奥地という名の幻想
それから200年を経た現在、アフリカの奥地という状況に対して普通の日本人の抱きがちな幻想は、そこの住民たちは世界の流れとはまったく隔絶していて、まったく無知で、金の価値などろくろく知らないのだろう、というようなものではないかと勝手に推測しているのですが、現実はそれほどに単純ではなさそうです。
ひとつの例をあげてみれば、キャンプ地近くのある村人が「日本は英米のイラク侵略を手助けするために軍隊を送り込んだらしいな。泥棒の仲間になってしまったのか。考えられない」と嘆いてくれたことがありました。
奥地の村人ですら、この程度には、世界の果てに存在する小さな国の動きを正確に承知しているのです。
電気も水道もない村にも、アラブ、ヨーロッパ、アメリカ各地からのニュースを、最大出力500ワット程度の小さな発電機につないだ衛星テレビ受信機を通して見ている人がいる、という現実を知っておく必要はあります。ラジオフランス、BBCラジオなどの定時ニュースを聴くことは日常のたしなみでもあります。
むしろ、テキサスあたりのカウボーイよりは、世界の情勢をより正確に把握している可能性があります。ギニアの奥地の村からも、アメリカ、カナダ、フランス、オランダ、スペインあたりは言うに及ばず、サウジ、タイ、ブラジル、台湾、日本などなど、仕事が得られそうな国であれば、誰かしら出稼ぎに出かけていますし。
◆ギニアの金と国際価格
ところで、金採掘会社の生産物が市中に流れることは原則的にはあり得ないのですが、村人が掘り出した金は現地の小口の仲買人を通して市場に流通します。
ただし、生産現場での金価格は、すでに国際価格にほぼ等しく連動しています。つまり生産している現地で買ったとしても――大量の調達は無理であるものの――、差益はほとんど想定できません。むしろ、不純物の混じり具合を確認できずに買うというリスクのほうが大きくなります。
村の生産現場での金価格が国際価格にほぼ等しいというのはなぜなのか?。その理由は簡単で、少なくともギニアでは、金は商品ではないからなのです。金は、探検家マンゴパークらがやって来るよりもずっと昔から現金と等価でした。村の人々は山で貨幣を掘り出すような感覚で仕事をしているわけですから、その金は価格交渉の対象にはなり得ません。
ギニアの中央銀行は、むろんのこと金を買い入れます。外貨をほとんど持っていない貧しい政府にとっては、金は貴重な「外貨」を得る手段になり得るわけです。その理由もあって、中央銀行の現地貨幣による金の買入価格は、実は国際価格をかなり上回っています。中央銀行はプレミアムをつけてでも、村人が掘り出した金を集めたがっているのです。
◆金を買うギニアのレバノン人
そこで、金の仲買人は、集荷した金を中央銀行に持ち込むかといえば、必ずしもそうではないという現実があります。というのは、国際価格よりも高値で買い入れる中央銀行よりも、さらにいい条件を出してでもその金を必要とする存在があるからなのです。
その筆頭はレバノン人であるかもしれません。実態が数字で現れることはないものの、ギニアの経済活動のかなりの部分を担っていると推測できるギニア在住のレバノン人たちは、現地貨幣を信用していません。
ギニアフランは、過去2年間で対ドルレートが20パーセント下落、10年前との比較では55パーセント下落しています。
肌でその流れを知っているレバノン人は、例えば彼らが長期に不動産を貸す場合、その契約書は必ずドル表記になります。現地貨幣ギニアフランが記されることはまずあり得ません。
そして、その利益をギニア国外へ持ち出す手段は、闇で集めた(銀行ではドルへの両替はまずできません)外国紙幣、金、時にはダイヤモンドの原石を使うことになるわけです。ここで、金の仲買人が動くわけです。
◆通貨としての金
ギニア人自身も金を買います。イヤリング、ネックレス、ブレスレット、指輪の製作を職人に依頼するとき、あるいは婚約時の結納の品としても現地産の金を使うのですが、実はそれよりももっと大事な用途があります。
ギニアの隣国のマリであるとか、セネガル、コートジボワールといった国々では、セーファーフランと呼ばれる通貨を使っています。これらの国々はセーファーフラン圏を形成していて、複数の国で共通の通貨が通用しています。またこの通貨は、EUの通貨と(以前はフランスフランと)ある一定の比率で交換できることになっていて、実質的には、国際的に通用する通貨であるわけです。ところが、セーファーフラン圏から仲間はずれにされているギニアの通貨、ギニアフランには兌換性がありません。ギニア国内でのみ通用するというさみしい通貨です。
しかしながら、いつの世にも交易という仕事があります。主食の米さえも輸入に頼っているギニアは、サンダルから自動車まで、あるいはティッシュペーパーから新聞印刷用の紙まで、すべて先進国が生産するものを輸入しなければなりません。
ところが国には外貨がない。しかしナマの金はある。そこで中世のマリ王国の時代と同様、ギニアの商人はナマの金を携えて近隣諸国へ商品の仕入れに出かけるのです。
このようにして、高地ギニアで採れた金は、この地のマリンケ族の手によって遠い国々へ旅に出ることになります。そして大量の商品が持ち帰られ、それがギニアフランに変わり、そしてまたナマの金に姿を変えて国外へと移動。時には、隣国マリあたりでセーファーフランを手に入れる元手にもなっているようです。
◆消されかけた日本人
金にまつわる話題では、ギニアを舞台に日本人が主役を演じた卑近な例もあるらしく、当地の新聞にも報じられていました。わき役および悪役はギニア人一同となっています。ギニアでは金が安く買えると吹き込まれ、ひともうけを狙った小金持ちの日本人を、日本在住のギニア人が案内してきた、という設定をまず頭に描いてください。
この日本人は、かなりの額の現金を懐に成田を出て、しかも飛行機乗り継ぎ地フランスの外貨管理の網を潜り抜け(本人の無知と単なる幸運?が重なっただけなのでしょうけれど)、なにはともあれギニアへと潜入。――以前、フランスの規制額をはるかに超える現金を持って出ようとして、パリの空港で拘束された公用旅券の日本人もいました――
そして、ギニア人仲介者が渡したニセモノの金に気がついてしまったその日本人は、消してしまうぞ、と脅かされたとか。ここで事は表ざたになって、その日本人にとっては無事、あるいはめでたく落着。
…というのは、ギニアで金を買ってなんとか日本へ持ち帰れたとしても、どこかで詐欺、脱税等の不法行為をしない限りは利益の出るはずがないのですから、これは買えなくてよかったというべきケースでしょう。
◆金業界はとっくに有事
金の国際価格が、継続して上がり続けています。二年前に下記のコラムを書いた時点では1オンス(約31グラム)300ドル程度であったものが、4月1日には、1988年以来久しぶりに430ドルを超えました(一時的ではあるものの、エープリルフールのせいではないはず)。このメールを書いている時点では、1オンス400ドルあたりを移動しています。
【萬晩報】ギニアから眺めた金の業界風景2002年03月25日
http://www.yorozubp.com/0203/020325.htm
これは有事の金ということで、世界の破滅的状況を反映しての金価格高騰と考えている米国の産金会社関係者は、ブッシュ政権の国際秩序破壊行動を足の裏あたりで感謝している傾向があります。
例えば、現在パートナーとして仕事をしている米国の大手鉱物資源会社の技術者は、「ブッシュのおかげで飯が食える、酒が飲める」と言いながらも、言葉とは裏腹の意味を表わそうとしてその表情をゆがませるのです。頭は軽ければ軽いほどいい、と。
世界一の産金会社ニューモントマイニング社(米国)の株価は、金価格の上昇につれて、一年前には26ドルだったものがこの4月1日には47ドルに達しています。経営状態が青息吐息でクズ株とみなされていた米の会社Cの場合は、この一年で1.2ドルから3.2ドルへと大変身し、今はすっかり息を吹き返しました。ほとんどすべての産金会社が同様の恩恵をこうむっているのが現実でしょう。――かくいう私めだって、彼の国の頭の軽いトップには足を向けて寝られません。そしてお仲間の「テロには屈しない」と一つ覚えの科白を繰り返す人をも愛さずにはいられません。(『金鉱山からのたより』2004/04/20から転載)
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