執筆者:中澤 英雄【東京大学教授(ドイツ文学)】

筆者のもとには今でもときどき、1月に萬晩報に書いた《『ラスト・サムライ』における「インディアン」》への感想が寄せられる。この映画が日本人の間に大きな関心を呼び起こし、その関心が今でも続いているということなのであろう。
http://www.yorozubp.com/0401/040108.htm

筆者にとってはこの映画は、今まであまり深く探究したことがない世界への思わぬ入り口になった。それはアメリカ・インディアンの世界である。

拙論において筆者は『ラスト・サムライ』を『ダンス・ウイズ・ウルブズ』と比較した。『ダンス』に登場する部族は、映画の日本語版では「スー族」となっていたが、英語では「ラコタ族」である。

一般にスー族と呼ばれる人たちは、「五大湖付近の森林地帯に住むダコタ族。ミズリー河流域にすみ半農半猟の生活をしたナコタ族。そして、一番西に位置し大平原でバイソンを追いながら移動性狩猟生活をしていたラコタ族」の3つのグループに分かれるという。
http://www.earthlodge.com/rosebud.html

「スー族」というのは3つのグループの総称ということになる。

さて、インディアンと日本人は遺伝子的につながっているという説もあるが、多くの日本人にとっては、インディアンは西部劇の中の存在でしかないだろう。ところが、今年6月、かなりの数のインディアンやその他の先住民族の代表が来日し、富士山のふもとで平和のための式典を開く予定である。この行事は、「World Peace & Prayer Day せかいへいわといのりの日」(略称WPPD)という。
http://www.wppd2004.org/index.html

この行事の提唱者は、ラコタ族の精神的指導アーヴォル・ルッキングホース(Avol Looking Horse 見る馬)という人である。ルッキングホース氏はこれまで北米大陸をはじめ、アイルランド、南アフリカ、オーストラリアでWPPDを開催してきたが、その海外第4回目が今年、日本で開催される運びになったのである。

『ダンス』で主人公のアメリカ軍人ジョン・ダンバーと友人になるのは、ラコタ族の「Kicking Bird 蹴る鳥」である。「蹴る鳥」は、部族の長老ではないが、部族の精神的指導者の立場にある。ルッキングホース氏は「蹴る鳥」と同じ立場の存在なのであろうか?

いずれにしても筆者にとっては、拙論を書いた直後に、日本におけるラコタ族の行事の知ったことは、思いもかけない「シンクロニシティ」(意味ある偶然の一致)であった。

そこにさらに別のシンクロニシティが重なった。筆者は3月にルッキングホース氏の著書『ホワイト・バッファローの教え』を入手したが、その中の重要な概念は「ミタクエ・オヤシン」という語である。その同じ語が、その少し後、朝日新聞の4月8日の天声人語でも使われているのを見出した。

天声人語ではこの語は、『アメリカ・インディアンの書物よりも賢い言葉』(扶桑社)からの引用で、「ミタケ・オアシン」となっていたが、『ホワイト・バッファローの教え』の訳者・本出みき氏は、ラコタ族居留地の部族大学で勉強した方なので、「ミタクエ・オヤシン」のほうが実際の発音に近いだろう。さらに、天声人語は「すべてはかかわり合っている」という意味のこの語を、日本の政治とイラク情勢が関連しているという、政治的文脈で使っているが、「ミタクエ・オヤシン」にはもっと深い意味がある。

『ホワイト・バッファローの教え』にはこう書かれている。
ミタクエ・オヤシン「私につながるすべてのものに」という言葉には、より大きな意味があります。ここでいう「すべてのもの」とは、私たちの血縁や国、人類だけを指しているのではありません。
母なる地球そのもの、マカウンチ(祖母なる大地)は私たちの親族であり、同時に祖父なる空、すべての二本足で立つもの、泳ぐもの、空を飛ぶもの、根のくにのいのち、這うもの、このように私たちと一緒にこの世を分かち合うすべてのものたちを意味します。
「ミタクエ・オヤシン」は、すべての生き物、すべての存在とのつながりを表わします。
私たちはみなつながっており、ひとつなのです。
日本の先住民であるアイヌにもこのような世界観が生きている。山や岩や巨樹を神とあがめる神道にもそのような要素が残っている。このような世界観は、キリスト教のような一神教の立場からは、原始的なアミニズムととらえられるかもしれない。

西欧文明の基盤となったキリスト教は、神と人間と世界(自然)を切り離し、宇宙をこの順で序列づけた。古代ギリシャ由来のロゴス的思考と相まって、西欧文明は自然を対象化し分析することによって科学技術文明を生み出した。そして「神が死んだ」あとの世界では、人間が神の座につき、自然を思うがままに利用し、搾取してきた。しかし、地球を単なる使い捨ての資源としか見なさないこのような世界像は、地球温暖化、水や空気の汚染、新しい病気の発生、動植物界の異変などという形で、その否定的な帰結を人類に突きつけつつある。

地球環境問題が深刻化する中、21世紀の人類に必要とされているのは、まさに人類はすべての生物、すべての存在とつながっている、という「ミタクエ・オヤシン」の世界観であろう。このような世界観を、イギリスの生物物理学者ジェームズ・ラブロック博士は、「ガイア」(ギリシャ神話の大地の女神)の比喩で語っている。博士のガイア理論によれば、地球は単なるモノの固まりではなく、無数の生命のネットワークによって作られる、一つの巨大生命体と見なせるという。インディアンの世界観が、最新の科学仮説と共鳴しているのは興味深いことである。

ラブロックは、1957年に電子捕獲型ガスクロマトグラフィーという装置を開発した。これは、地球上に存在する微量物質を1兆分の1という高感度で分析できる装置で、それまでの装置よりも100万倍以上もの感度を持っていた。その装置によって、DDTなどの農薬が世界中に広まっていることや、フロンガスが大気中に滞留してることなどが明らかになった。

ラブロックは、現在上映中の龍村仁監督の映画『地球交響曲』第4番の中で、イギリスの自分の実験室で誤ってある揮発性の薬剤を床にこぼすと、その分子が数日後、東京の空気中から検出できる、と述べている。

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イラクの戦闘でまき散らされた劣化ウランなどの有害物質は、当然日本にも届いているはずである。まさに「ミタクエ・オヤシン」、世界は一つにつながっているのである。

ラコタ族には次のような予言が伝えられているという。

「予言は、私たちが今、分岐点に立っているといいます。私たちは混乱、災い、親族たちがつきることのない涙を流す道を選ぶのか、それとも平和と調和のもとに精神的にひとつになる道を選ぶのかを迫られています。そのため緊急に平和を訴えるメッセージを伝え、世界中で力の転換をはかるべき時にきているのです。」(『ホワイト・バッファローの教え』)

私たちは今、インディアンの知恵の言葉に謙虚に耳を傾ける必要があるのではないだろうか。

中澤先生にメールは naka@boz.c.u-tokyo.ac.jp