アフリカの傭兵たちと油
2004年12月04日(土)萬晩報通信員 齊藤清
【コナクリ発】北アフリカ・リビアのカダフィ大佐と国際社会との和解も済み、米国の石油会社はリビアへも大手を振って石油汲みに出かけられる環境が整った。これからはますますアフリカ大陸の原油が期待される時代となる。西アフリカの産油地帯の現況と、そこにうごめく傭兵たちの姿を眺めなおしてみた。
◆奴隷海岸の再現へ
2004年7月12日、五列のフォーメーションを組んだ総勢十三隻の艦隊が、淡くかすんだ空の下、北アフリカ・モロッコにほど近い大西洋の海を北上していた。艦隊の左翼前方に位置するのは、米海軍のニミッツ級航空母艦『USS Harry S. Truman』。右翼には同じく米海軍の航空母艦『USS Enterprise』。 そして、米空母トルーマンの右舷に並行して進行しているのがイタリアの航空母艦『Giuseppe Garibaldi』。また、米空母エンタープライズの左舷を併走するスペインの航空母艦『Principe de Asturias』。それから、英国、モロッコ、フランス、ポルトガル、トルコと、多国籍の艦艇がそれぞれの位置を崩さずに白い航跡を曳いていた。
http://www.navsource.org/archives/02/026549.jpg
これは『Majestic Eagle 2004』と名づけられ、北アフリカ・モロッコ沖で
米海軍主導で行われたNATO軍としての共同演習風景の一齣である。
この頃英国では、イラク戦争開戦を正当化した根拠情報の誤りをバトラー委員会報告書が指摘し、イラク戦争の大義名分に改めて強い疑問が投げかけられていた。フランスは、イラクへの国軍派遣を拒否。スペインでは、3.11列車爆破事件の後に成立した新政権によってイラク派遣軍の撤退が進められ、スペイン新政権とブッシュ米大統領との間の軋轢が噂されていた。
そういった時期に、昔の地図には奴隷海岸と記されていた西アフリカ地方に続く海域を、多国籍艦隊が打ち揃って遊弋していたのである。奴隷貿易が公認されていた時代には、これらの国々の艦船が、生きた人間を商品として運び出していった海である。
そして今、これらの国々、ことに米国は、昔の奴隷海岸一帯からアフリカ大陸の血――軽質原油を搾り出す体制をすでに整えたことを宣言すると同時に、今後のオペレーションの障害となるものはすべからく排斥する決意を、この日、軍事力を映像として誇示することによって、あらためて表明した。
◆米国のアフリカ石油戦略
よく知られているように、米国は世界最大の石油消費国である。世界の年間産油量30億トンのうち、10億トンを米国が消費している。米国の経済活動は石油の流れに従って動いている。石油なくしては、米国民の市民生活を維持することができない。
米国は現在、国内消費量の約60パーセントを輸入に頼っている。そのために、海外からの安定した石油調達を継続することが常に求められている。しかしながら、イラクの例を見れば明瞭に理解できるように、すべての国が米国に好意的であるわけではない。
そこで米国は、石油の中東依存度を軽減し、その分を未開拓の、しかもコントロールしやすいと考えている西アフリカ地域から調達することとし、目標数値として輸入量の25パーセント確保の方針を据えた。9.11事件に連動させて発動したアフガン侵攻、ニセの情報を根拠としたイラク侵攻、そして次はイランが標的かなどと世論を誘導し、人々の目をペルシャ湾岸の油にひきつけて幻惑している間に、西アフリカのギニア湾に展開していた米国石油企業は粛々と作業を進め、主要な産油地帯を押さえる戦いはすでに勝負がついたといえる段階にある。
この地域で新規開発した油田、あるいはこれから開発する油田はすべてが海底油田である。生産物を搬送するパイプライン敷設の必要がない。採掘現場は陸地から離れた海上であるがゆえに、現地の政情不安の煽りも受けにくい。警備のしやすさは陸地の油井の比ではない。また北海油田のように冬季の過酷な気候を考慮する必要もない。このような環境で硫黄分の少ない良質の軽質原油が汲み出せるということであれば、これ以上何を望むべきだろうか。
(拙稿)ギニア湾―もう一つの湾岸石油戦争
http://www.yorozubp.com/0308/030804.htm
◆アンゴラ反政府勢力の消滅
ここでは、米国のギニア湾における石油支配が進む過程で垣間見えたいくつかの冷酷な現実を、最近の主だったできごとに限って振り返ってみたい。なぜか、死屍累々という言葉が頭をよぎる。
2002年2月、アンゴラの反政府勢力UNITAのサビンビ議長が死亡した。 UNITAは、この国が1970年代にポルトガルから独立して、アンゴラ人民共和国なる社会主義政権が誕生して以来の、実に30年にわたる呆れるほどに長期的な反政府勢力であった。これは日本外務省ですらそのWEBページで書いているように、UNITAは米国のお墨付きを持ち、米国の支援を得て内戦を継続していたことと、「永遠の輝き」のデビアス社が、反政府勢力の掘り出すダイヤモンド原石を買い取って紛争資金の供給を続けたことに長生きの源泉があった。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/angola/data.html
しかし、サビンビ議長は世界の風の流れを読み誤り、米国政府に厄介者にされる形で捨てられた。その結果、今では親米として振舞っている現大統領が米国に呼ばれた一週間後に、このサビンビ議長は死亡している。公式には、政府軍との戦闘による戦死ということになっているけれど、その実は、最近世界各地の戦闘地域での活躍がめざましい「軍事顧問会社」の関与によるものであったといわれる。――政府軍の兵士とは腕が違う。
このアンゴラは、むろん米国石油会社が多くの鉱区を保有する西アフリカ第二位の原油生産国である。――日本企業も権益の一部を保有している。米国資本による巨額の投資により原油の確認埋蔵量は飛躍的に増大していて、数年のうちに生産量第一位のナイジェリアを追い越すことは確実と計算されている。
邪魔者が消された後内戦は停止して、現在は和平プロセスが進められている。 国家財政のほとんどを原油に頼っているアンゴラにとっては必須の流れ方でもあった。
◆リベリア大統領の失脚
2003年の7月には米国のブッシュ大統領が、パウエル長官とライス補佐官を随行してアフリカ数カ国を訪ねている。そして、西アフリカ一番の産油国ナイジェリア訪問では、アメリカの石油権益の西アフリカ地区代理人とも称されるこの地のオバサンジョ大統領と米政権との濃密な交流が行われた。
当然のように、ナイジェリアとその近隣の国々との石油利権の問題が話題となる。例えば、カメルーン、その沖に浮かぶ小さな島国サントメプリンシペ、ガボン、国の陸地面積は少ないものの、米国資本による海底油田開発のおかげでここ数年驚異的に経済発展し、成長率60パーセントという狂乱状態の赤道ギニアに関する意見交換などが行われた。
この季節、彼らにとっての気がかりのひとつはリベリアの内戦状況であった。 巨額の投資を続ける米国にとって、近隣の国から火の粉が飛んでくることは避けなければならない。この時点で、米国の支援を受けた反政府勢力が、反米政権チャールズ・テイラー大統領をかなりの程度に追い詰めてはいた。落ちるまであと一押しであった。欧米のメディアと人権団体は、いつものごとく「人道的な問題」を強調し、反テイラー大統領の国際世論を煽って包囲網を狭めた。
オバサンジョ大統領は、ブッシュ一行が到着する一週間ほど前にリベリアへ飛び、テイラー大統領を説得。この時点で、テイラーに亡命を受け入れる意思ありと確信していた。
ブッシュ一行がナイジェリアを発った翌日、オバサンジョ大統領は一路ギニアへ飛んだ。そしてギニアのコンテ大統領と、テイラーの処置についての意見調整をする。コンテ大統領がテイラーをリベリアから追い出すことに反対するはずもない。ギニアは自国の防衛のためにも、米国の協力を受けながら、一部国境を接するリベリアの反政府勢力を支援していた。――ギニアの大統領は、自分は正統的な流れで大統領に就任した軍人であることを誇りにしているから、ゲリラあがりの大統領テイラーを、個人的にも嫌悪している。
テイラー大統領はそれから一カ月ほど後、オバサンジョ大統領が身柄を預かる形でナイジェリアへ亡命した。テイラーの盟友でシエラレオネの「ダイヤモンド戦争」の準主役を演じた反政府ゲリラの代表フォディ・サンコーは、テイラーの政権放棄の決意を促すかのように、この一週間ほど前に獄死している。 あるいは、させられたというべきなのかもしれないけれど。
これでリベリアも、そして周囲の国々も静かになり、この地域での投資リスクは低減された。
さっそく、テイラー後のリベリア暫定政府から免許を受けたスペインの石油企業が、シエラレオネ寄りの海域で海底油田の調査を始めた。この会社はフォディ・サンコー亡き後のシエラレオネでも、米国企業ひしめく赤道ギニアでも探査作業を続けている。
◆スーダンの混乱
ギニア湾からは遠いけれど、エジプトの隣国で、紅海に窓を向けたスーダンの動きにも触れておく必要がある。
1996年、国連安保理はスーダンに対して制裁決議をぶつけた。米国独自の対スーダン経済制裁も実施された。そのため、米国企業はスーダンで活動することができなかった。その間に、経済の発展に伴って石油消費量が急激に増えていた中国がこの国の石油権益を手に入れ、中国初の海外油田として仕上げてしまった。他の国の企業も動いてはいるけれど、スーダンの油は中国の独擅場と言えなくはない状態である。この国の石油を取り巻く状況は、米国の石油会社にとっては痛恨の極みとでもいうべき展開となってしまった。
この間、スーダンの内戦は継続していたのだけれど、最近では和平に向かって収束する方向にあると観測されていた。その矢先、政府軍の支援を受けたアラブ人民兵によってアフリカ系黒人の大量虐殺が行われているとされる報道が始まった。パウエル米国務長官も「大量虐殺が行われている」と発言し、スーダン政府の速やかな対応を求めた。英国もこの発言を追認。
そして、事態が改善しなければ国連でこの国の生命線である石油の輸出禁止を決議すると、米国が警告を発した。
制裁決議が成立した場合、当事者のスーダンも困るけれど、多額の投資を行い、必要に迫られて大量の原油を輸入している中国も大きな影響を受けることになる。むろん、米国の意図はまさにこの一点にあるといわれている。
◆アフリカの傭兵たち
国レベルの目的のために人を殺すことを請け負う民間人がいる。戦争のプロである。彼らは、「警備会社」あるいは「軍事顧問会社」の社員と称して政権を擁護する立場を演ずることもあれば、反政府勢力を指揮して政権を脅かすこともある。また、紛争を煽るための工作も彼らが得意とする分野の仕事である。 ――むろん無料奉仕ではない。誰かが雇うのである。
小さな国、小さな軍隊、小さな政府がほとんどのアフリカ大陸は、傭兵が活躍しやすい場所であるらしい。もっとも、この傭兵たちの仕事現場はアフリカであっても、その雇い主の背景は遠く離れた国々にあるらしい。
鉄の宰相と呼ばれたサッチャー元英国首相は、英国陸軍特殊空挺部隊(SAS) を重用した。精鋭ばかりを集め、実戦でさらにその腕に磨きをかけているため、このSAS出身の傭兵は世界最強という評価を得ている。退役後、英国、フランスあたりのブローカーにリクルートされてアフリカ大陸に送り込まれることが多いようだ。
次いで、米軍の特殊部隊出身者がしばしば傭兵業に転進するという。それで、事業としての戦争を推進している米国には、戦争業務を請け負う「軍事顧問会社」が乱立しているらしい。
在外公館が現地の新聞記事を要約してWEB上で公開している情報を拝借し、傭兵たちのアフリカでの活躍ぶりの一端をご紹介したい。このページでは、「ハラレ空港における武器を所持したアメリ力人の逮補」の項が特に興味深い。 (ハラレはジンバブエの首都)
以下は、「ハラレ空港における武器を所持したアメリ力人の逮補」の項からの抜粋。
http://home.att.ne.jp/green/asj/ippan/i9903.html
ハラレ国際空港において武器を所持したアメリカ国籍の男性3名が逮捕された。3名はチューリヒ行きスイス航空機で米国へ向かおうとしていたと思われる。
3名は、高度な訓練を経た傭兵であると思われ、カビラ大統領を暗殺し、「より崇高な政府」を樹立することが使命であったと思われる。
押収品は、軍事ハードウェア及び機器(マシンガン、狙撃用ライフル2丁、AK-47式ライフル3丁、消音装置5機、赤外線式照準望遠鏡6機、ライフルの台じり3機、望遠鏡8台、ナイフ70丁、ピストル及びリボルバー19丁等)及びポータブル・コンピュータ、拷問用機器、弾薬、仕掛け爆弾製造法及び通常機器から銃を作る方法のマニュアル、軍事用カムフラージュ用品、照明用機器、弾倉、無線機等。
破壊行動未遂容疑で拘留中の3名のアメリカ人が属する軍事組織と、ウガンダにおける観光客虐殺とを関連づける証拠が挙がった。
3名のザンビア滞在中に、アンゴラ大使館爆破事件が起こっている。ジンバブエ政府調査団は、調査範囲をジンバブエ及びコンゴ(民)から他のアフリカ各国に拡げている。
以上は、傭兵映画『ワイルドギース』などといった類の娯楽物語の中での筋書きではなく、アフリカで現実に起きている、あるいはごく日常的な風景であるということに無力感は募る。
◆ボーイング機の謎
つい最近も傭兵たちによるかなり派手な立ち回りがあって、しばらくの間、観客の想像力を刺激してくれた。以下、日経新聞のWEB記事(2004年3月11日)から引用。
『米英スペイン、赤道ギニアのクーデター計画に関与?
米英スペインの情報機関がクーデター計画に関与か――。アフリカ中部の赤道ギニアからの報道によると、同国で10日までにクーデター計画が発覚、雇い兵ら15人が逮捕された。ジンバブエ政府が首都ハラレで7日に拘束した航空機の乗客64人も米英スペインの情報機関の支援を受けた雇い兵とみられている。
赤道ギニアで捕まった南アフリカ人の雇い兵グループ隊長はテレビで「ヌゲマ大統領をスペインに連行し亡命させる計画だった」と告白した。
一方、ジンバブエで拘束された機内からは衛星電話や地図などが発見されたが、武器類はなかった。モハジ内相は「英情報局秘密情報部(MI6)、米中央情報局(CIA)、スペインのシークレット・サービスの情報機関が関与し、赤道ギニアの軍、警察のトップにクーデター計画への協力を求めていた」と述べた。航空機を運航した会社幹部は「乗っていたのは鉱山労働者だ」と反論している。
この記事にあるジンバブエで拘束された航空機は、ボーイング727型機である。データベースによれば、1964年にNational Airlinesがボーイング社からこの機を購入し、1980年に同航空会社がPan Amに買収された時、この機は米空軍に売られて空軍用に仕様変更されている。この機の英空軍基地に駐機中の写真がある。
UK-Cottesmore, July 30, 2001 http://www.airliners.net/open.file/251562/L/
この機は、米国ノースカロライナの空軍基地を発ち、カリブ海に浮かぶ島バルバドスで給油したあと目的地へ向かった。ジンバブエで拘束された時点では民間会社所有ということになっているらしいけれど、直前までは米空軍所属の航空機であった。
◆赤道ギニアのクーデター不発
もっとも、この事件の続報を頻繁に露出している欧米メディアの記事は米国の関与には触れず、表舞台に登場してくる関係者の華やかな顔ぶれと、手垢のついた目的の解説ばかりを強調しているようにみえる。
すなわち、サッチャー元英首相の息子が資金提供者であり、元英陸軍特殊空挺部隊(SAS)隊員で、西アフリカのすべての紛争地での傭兵業で稼いだことですこぶる有名な御仁が指揮官となり、スペインに亡命中の野党指導者を大統領に据える計画であった、成功の見返りは現金と石油利権である、等々。
しかし、そのシナリオは綺麗過ぎて真実味に欠けている。赤道ギニアの現政権は、長期政権の通弊として腐臭漂う体制であり、巨額の投資者に対しても不愉快な対応をして不安を感じさせるばかりでなく、米国に設けられた口座に多額の賄賂を振り込まざるを得なかった。しかも国民は貧乏なままで、ごく短い時間の間に生じた貧富の格差の異常な拡大に伴う不満が爆発寸前となっていた。
そしてもう一点、絶対に見逃すことのできない動きがあった。それは、赤道ギニア大統領に対する中国のアプローチである。いつものごとく隙間から手を差し出すのではなく、石油利権の取得を求めて表街道を走った。中国から吹き寄せる甘言は、独裁大統領の耳を心地よくくすぐっていたはずだ。
江沢民主席、赤道ギニア大統領と会見
http://j.people.com.cn/2001/11/20/jp20011120_11471.html
ナイジェリア、アンゴラに続く西アフリカ第三位の産油国――米国資本がすでに万全の生産体制を整えた赤道ギニアを、トラブルなしに最大の利益を確保して運営していくためには、現大統領の存在は不適当であると判断された。障害物は除去されなければならなかった。いくぶんかの餌を与えれば従順に尻尾を振る、扱いやすい政権に変えておく必要があった。そして、傭兵を使ったクーデター計画が実行された。
このようにして、油を安定的に確保するためのひたすらな努力がアフリカの各地で続けられてきた。そして今がある。この状態を維持するために障害となるものは、当然のように排除される。ただひざまずくことだけが求められ、浮気は許されない。これからも冷徹なムチは振り続けられることだろう。そのための傭兵たちは、油の守護神としての役割を演じなければならない。一神教の神は嫉妬深いのである。
齊藤さんにメールは mailto::bxz00155@nifty.com