川喜田貞久さんがまだ百五銀行の会長だったころ、銀行主宰の年末パーティーに招かれたことがある。川喜田さんも僕も日本酒で酔っ払っていて、三重県に足りないものは何かと尋ねたところ、瞬時に「ばかもの、よそもの、わかもの」という言葉が返ってきた。
 かれこれ3年も前のことであるが、川喜田さんの「ばかもの、よそもの、わかもの」は気に入って、この面白い銀行オーナーの話を飲んだ席で多くの友だちに話した。いまも話している。
 先日、政治部の後輩が「田中康夫さんから預かり物です」といってサイン入りの自著を2冊持ってきてくれた。『日本を』(講談社)、『脱・談合知事 田中康夫』(扶桑社新書)の2冊だった。
 その『日本を』にまた「ばかもの、よそもの、わかもの」が出てきたのには驚いた。
「旧来のピラミッド型の発想をブレークスルーするためには、『ばか者、よそ者、わか者』の意識と行動が不可欠です。『ばか者』とは、単なる阿保とは異なり ます。その昔から、上杉鷹山も吉田松陰も、あるいは信州・松代出身の佐久間象山も、新しい哲学を抱いて行動した人物は、周りからは数寄者、奇人変人と思わ れました。が、地域が活性化するには、そういう『ばか者』がいなければならないのです」と書きながら小布施町の再生に成功した3人の「ばかもの、よそも の、わかもの」を紹介している。(紫竹庵人)