解散・総選挙が近い。3年前、郵政民営化を問うた小泉首相率いる自民党が未曾有の大勝をした。連立を組む公明党とともに衆院議席の3分の2を確保して、「憲法改正」をも視野に入れた。昨年の参院選では一転、民主党が過半数を獲得し、衆参両院の「ねじれ現象」が生じた。
 麻生政権にとって衆院で前回の議席確保は不可能な上、例え過半数を握っても再来年の夏まで参院の「ねじれ」は変わらない。それでも解散・総選挙は避けられない情勢なのだ。
 萬晩報は1988年の創刊以来、政権交代を期待してきた。90年代に一時期、反自民の細川護煕政権が誕生した。55年体制の打破が目的で、小沢一郎氏が自民党を割って出たことから政権樹立が可能となった。
 55年体制は米ソ冷戦構造の上になりたっていた。日本では政官財による合意形成で一国の政治がそこそこ安定していたが、1985年のプラザ合意以降、世界経済は新たな段階に入っていたし、89年のベルリンの壁崩壊で政治的にも政官財による政治構造にほころびが生じていた。
 新たな時代はグルーバル化と構造改革が合言葉だった。90年代の日本にはバブル崩壊そして金融危機という大きな試練も待ち受けていた。日本の政治経済には構造改革が必要だったが、旧来の政治手法を踏襲する自民党には新しい時代を築く能力に欠けていた。
 そこに登場したのが細川政権だった。自民党の一部で暖めていた衆院選挙改革がこの政権で現実となった。中選挙区から小選挙区制への移行である。小選挙区制の導入によって、選挙ごとに議席の大幅な入れ替えが可能となり、二大政党制を誕生させる素地が生まれた。
 細川政権が打ち出した構造改革路線はやがて、小泉首相に受け継がれてしまった。政策のねじれが生まれた。「自民党をぶっ壊す」というフレーズはまさに政官財の癒着構造を壊すことを意味していたから、当然ながら自民党内部から反対勢力が生まれた。そうした勢力に小泉首相は「守旧派」というレッテルを貼った。党内対立があっても直接国民に「改革の是非」を訴え、政権を維持することができた。
 小泉政権は国民の支持を背景に5年におよぶ長期政権となり、まがりなりにも日本道路公団の民営化と郵政民営化を果たした。この成果についてはまだ結論を出すのは早いと思っているが、筆者が小泉首相を評価する最大の理由は「景気対策」を打たなかったことだった。
 小渕首相は財政そっちのけで、日本を借金漬けにした。自ら「借金王」と名乗ったぐらいであるが、財政の大盤振る舞いにも関わらず、日本経済は浮上しなかった。逆に小泉首相は国民に「我慢」を求めた。日経平均が1万円を切ってもなすがままにまかせた。「日経平均は底をついたら反発する」という確信があったかとうかはしらないが、筆者はそう信じていた。
 実際、日経平均は7000円台にまで下落した後、反発を始めた。小泉首相が5年間に大きな借金を背負ったと批判する向きもあるが、5年間という長い年月で小渕さんのつくった借金よりも少ないはずだ。国債の大量発行は元々、90年代の自民党政権がつみ増してきたもので、その借金体質は一夜にして減らせるものではない。国債発行を30兆円内に収めることですら大変な議論があったことを忘れてはならない。
 さて今回の総選挙である。麻生首相は「景気対策」第一と考えている。自民党の政官財の元のさやに戻った感がある。小沢代表は「生活者第一」といい、「官僚をぶっ壊す」とも言っている。こちらは細川政権の精神が貫かれている。
 小泉首相は実際に自民党をある程度ぶっ壊した。次なる標的は「官僚」ではないか。失われた10年で格差社会が生まれた。ある程度余儀なくされたという感がなきにしもあらずである。これはグローバルな動きだったからだ。
 その昔、官民格差があった。大手企業サラリーマンの方が、公務員よりいい暮らしができた時代があったが、いまはどうだろうか。官民格差の意味合いが逆転している。民が困っているときに、公務員だけはのうのうと俸給を貪っている。少なくとも年金問題や教員採用問題のニュースを見聞きするたびに国民の頭をよぎる考えではないだろうか。(伴 武澄)