ファテマちゃん物語(1)出会い
私がもっと小さかった時(5歳)、家のまわりですごい戦争がありました。ドッカン・ドッカンとロケット弾の音がして、ダッダッダッって銃の音が聞こえて、急に頭にガッツンって、あとは憶えていません。痛くありませんでした。気が付いた時は、赤十字病院のベッドの上でした。」
ファティマちゃんは、ボソボソと忌まわしい記憶をたぐりながら、出来れば話したくない、早く忘れたい、そんな気持ちが伝わるような話しぶりで、話してくれました。
母親マルジアさんは、「突然ファティマがガクンとのけぞって動かなくなりました。小さな灯りをつけてみると、横になって動かないファティマのまわりが、血の海になっていました。その血は頭から流れ出ていました。私はそこをチャダリー(ショール)で押さえて抱きかかえ、病院に向かって戦闘の中を走りました。ロケットの音も銃の音も聞こえましたけど、恐くありませんでした。3年前ファティマのお父さんは戦死していました。ファテマを助けたい気持ちで一杯でした。」
傷も治り退院して、直ぐ強い頭痛を訴えるファティマ。色々な病院へ戦乱の中歩き回りました。しかしどこの病院へ行っても、「何でもない、傷は治っている」と言われ、もう諦めて神様にお祈りするだけ。その間ファティマは、頭痛の発作に襲われると、うずくまり、泣き、暴れる。そうして7年間過ごしました。ファティマは神様も見放したのかと、でもお祈りは毎日続けました。
絶望の日々を送る中、「ジャパニのストレスクリニックがある」と聞きつけ、「わらをもすがる思い」で来院したのだと訴えました。ストレスチェックに直接たずさわる、ストレスクリニックの小児科医スポージマイ先生(女医・副院長)と、ストレスセラピスト・生井(Namai)院長も、「色々な病院へ行った」という母子の話に基づいて、頭痛は「戦乱の中を生きることで発生する、緊張興奮に基づく偏頭痛?」と迷いながら、「痛み止め」の服用を勧めて様子を見ることにしました(これが、約6ヶ月間銃弾を発見出来なかったミスでした。ファティマちゃん、ごめんなさい)。
ストレスクリニックに、レントゲン撮影機はありません。やっとレントゲンを持っている病院を探し当てて撮影していただき、持ち帰った写真が上記の写真!一瞬ゾワッと鳥肌になりました。頭部に写る銃弾の様な異物。その位置はファティマちゃんがいつも「痛い」と訴える位置にあり、筆の先のようにかなり鮮明に写っています。
ムジャヒディン(イスラム聖戦士)体験を持つ、ストレスクリニックのガードマン、ソダットさんによれば、「これはカラシニコフAK47突撃銃の銃弾」とのことで、一同ビックリ仰天しました。ファティマちゃんにとっては、今も「戦争が続いていた」のでした。
ファテマの母親の話では、確かに赤十字病院で手術して弾丸を摘出したという。しかし、今ここに紛れもなくもう一発の弾丸が写っている。では、ファテマの頭部には、同時的に2発の弾丸が貫入したことになる。
なんという不運!?否、強運!?いずれにしても、一時も早く摘出しなければなりません。ここから、アフガニスタン、日本の善意の連携プレーが始まりました。(アジア戦災孤児救済センターhttp://park22.wakwak.com/~namai-stress/awoa/から転載)