中学生のとき、地区のキリスト教会が合同で企画したワークキャンプに参加した。
 多感な年頃の友だちや尊敬できる先輩と出会って夢中になり、社会奉仕に打ち込んでいい気になっている私に、母は言った。「庭の雑草取りもしないで、ワークキャンプなんてやっても意味がない」。母は生真面目な正義漢で、浮わつく私をいつも現実に引き戻してくれた。
 「共に生きるために」をテーマに掲げるアジア学院と出合ったのは、高校生のときに参加したワークキャンプでのことだ。
 今は学校法人になったアジア学院は、栃木県の西那須野にあって、世界の、特にアジアとアフリカで働く農村指導者を育てている専門学校だ(福島第一原発から110km地点にあるアジア学院は、2011年3月11日、東日本大震災の被害を受けて、農村伝道神学校に一時疎開)。
 毎年世界各地から約30名の研修生がやって来て、寮に入り、自給自足の生活をしながら、一年間農業を学ぶ。1973年から40年間で56カ国、延べ1245人の学生を受け入れてきた。
 化学肥料や農薬を使う敢行農業が当たり前だった40年前から、アジア学院では家畜を飼って糞や草で堆肥をつくり、多品種、小ロットで持続的な生産を目指 す有機・循環型農業を行なってきた。「発展途上国の農村には人手がある。手間を惜しまず人力で作業するほうがいい」とか「化学肥料や農薬を買うのはお金の 無駄。本当に良い土から食物を生み出すためには有機・循環型農業でなければ」という考えあってのことだが、何よりも「共に生きる」ためには社会が循環して いく仕組みが不可欠である、という信念を農業で実践してきたのである。
 研修生が帰国して新年度の研修生が来る前の春休みと、地元農家に 学びに行って研修生が不在となる夏休みに、農作業の人手が必要になってワークキャンパーを受け入れる。家畜を飼っているから、休みはない。朝食前と夕食前 に動物たちの世話をすることを、チョアーと呼んでいた。春には次々と子どもが生まれたが、豚の出荷や鶏の解体を手伝うこともあり、命をいただく厳しさも教 えられた。
 創立者の高見敏弘先生は、東京都町田市にある農村伝道神学校からアジア学院の流れをつくった人だ。アジア学院をつくった理由 をうかがうと、「人が幸せな暮らしをする根幹として、有機・循環型農業が必要であること。そして先の戦争で日本がアジア諸国に行なったことのお詫びの印と して」とおっしゃった。
 運営は全額寄付でまかなわれているが、困難さは想像に難くない。普通、絶対不可能だと諦めてしまうような運営方法を40 年以上にわたって実現してきたことは奇跡だが、高見先生にとっては「必要なものはすべて天から与えられる」という強い信仰に裏づけられているにすぎない。
  とはいうものの、他者にキリスト教を強いることはない。アジアやアフリカでは圧倒的にイスラム教徒が多いし、ヒンズー教徒もいる。寄附をしてくれる主力団 体には、それらの宗教団体も名を連ねている。宗教や民族間の対立で戦争状態にある国の研修生もやってくる。宗教上の理由で、食べられない食材もある。そう した人々がさまざまな軋轢を乗り越えて、寮で「共に生きた」ことが「ARI(Asian Rural Instiruteの略)ネットワーク」を構築。同じ釜の飯を食べた仲間が、紛争の裏で和解の労を担ったという話も伝え聞く。
 アジア学院のワー クキャンプがきっかけで結婚した私たち夫婦は、自営業だから365日24時間、いつもワークキャンプ状態。アジア学院での学びと、母からの戒め「地に足を つけろ」の一言を胸に刻んで30年間、歩んできたところだ。ここでの経験がなかったら、もっと違う人生になっていたに違いない。高見先生が私たちの心に蒔 いてくださった「共に生きる」という種を、袖刷り合った人たちに伝えていかなくてはと思う。