愛することと別離について 賀川一枝
一緒に仕事をして、結婚して、30年が経った。意見の違いからのポジティブなケンカは山ほど、一緒に歩む目的が見えなくなってネガティブな別れ話も何回か経験した。
その夫が2012年の1月に癌を宣告された。年末から調子が悪く整形外科的な不調と思っていたところ、癌によって骨が壊された結果だということがわかっ た。肝心のおおもと(原発癌)は意外にも頬骨辺りのしこりにあった。そんな遠くの部位の癌が足の付け根まで犯していることを知らされ、医者の「何もしな かったら3ヵ月」という看たてが的外れではないことを悟った。
「残された時間が3ヵ月しかないのなら、手術や抗癌治療で時間を無駄にしたくな い」と、夫は治療しないと言った。そんなわがままな患者をうまくリードしてくれたのは、若い耳鼻科医だった。骨の癌進行を止めるための放射線照射の予約と 手術の予約、その後の抗癌剤治療を行なう病院の手配などを手際よく進めてくれ、私は1%でも可能性があるならチャレンジしてほしいと懇願した。結局、夫は 主治医の勧めるプランを受け入れた。
何万人に一人という特殊な癌で、手術後の抗癌治療は認定病院でしか認められない。 そこでは夫は研 究対象であり、進行を抑えるために分子標的治療薬という新しいタイプの抗癌剤を継続的に投与することを、現在も勧められている。しかも、確実に効果がある と実証された薬がないので(患者数が少ないため)、当初は自由診療。つまり、健康保険適用外だ。
最初の抗癌剤は、劇的に効いた。全身に転移して いた癌細胞が目視レベルで消滅したのだ。しかし数ヵ月後には再び癌細胞が活発化して、抗癌剤の再投与。脳への転移が発見されて放射線照射。薬の副作用で身 体が弱り、だんだん癌と闘っているのか薬の副作用と闘っているのかわからなくなってきたので「これ以上薬のダメージを受けたくない」と半年前から一切の薬 を断っている。たとえ癌が進行したとしても、薬に頼ることはやめようと二人で決めたのだ。
ぬか喜びと絶望の縁を何度も行き来した私たち は、今は病気を日常にして生きる術を身につけた。健康だったときには当たり前だった生活が、いかに恵まれたものだったかを思い知る日々。一緒にいられる時 間がどれだけ残されているのか、あとどれだけの働きができるのか。無限にあると思っていた時間やチャンスが「有限」であることを意識したことで、私たちの 考えは大きく変えられた。数えきれないほどの涙を流したけれど、この経験は確実にプラスに働いている。
愛についても、二人で話し合っ た。若いころの情熱的な愛情は、いずれは冷める運命にある。そうした類いの愛情は、人の成長とともに育んでいかなくては失われてしまうものだ。私たちは、 30年、貪欲に相手を理解しようと努めてきた。愛することを諦めなかったといってもいい。私を悲しませているのは、そうして育んだ一番の理解者を失うこと への恐れなのだ。
ある日、私は夫に言った。「大切な人を失う経験はこれまでにもあった。でも、時間とともに深い悲しみは癒されていき、その人と の関係は私の中でエピソードに変わっていった。あなたがいなくなったとき、あなたが私の人生のエピソードの一つになってしまうことが堪え難いのだ」と。
考え抜いたことを言葉にする。会話をしながら考えをまとめる。そうした一連の作業が、難しい問題の答えを導いてくれることがある。今なら私は、夫がエピ ソードになることはない、と確信できる。どちらが先に逝っても、残ったほうの心の中に永遠の命を与えられると。その答えを見出すために、神様は充分な時間 を与えられたのだろう。
愛はいっときの幻ではない。愛は求めれば必ず与えられるものだ。私たちのミッションは、それを体験できた喜びを多くの人に伝えること。そのために、私たちは生かされている。