遂に高知で国会の葬式を出すことになった。

秘密保護法成立で絶命…”国会の葬式”挙行へ 高知市の自由民権記念館
【高知新聞】2014年02月04日08時19分
 特定秘密保護法ヲ成立サセタル国会ハ、其ノ自殺行為ヲモッテ絶命候ニツキ…―こんな趣意で企画した「違憲・偽装国会の葬式」が22日、高知市の自由民権記念館で挙行される。高知県出身の平野貞夫元参院議員の提起に、五島正規元衆院議員らが呼応。議会制民主主義の危機的状況をアピールし、”葬儀” の後は生活の党の小沢一郎代表を交えて国会再生への方途などを論じ合う。

 以下は平野貞夫氏のメルマガから転載


 特定秘密保護法案は「国会の葬式」になる!

 まず、高知新聞に心から礼を言いたい。『特定秘密保護法案』
のインタビュー記事が、12月1日(日)朝刊に掲載された。
この日は私の78歳の誕生日で、結婚52年の記念日でもあった。
偶然だろうが、この偶然は〝必然の偶然〟と想う。「やることが
残っているぞ。まだ迎えには行かんぞ」という閻魔大王のご下命
と思っている。

(平石磨作太郎衆議院議員の見識)
 私がインタビュー記事で紹介した平石さんは、高知市役所で活
躍し、厚生部長として高知市の福祉政策を確立したことで知られ
ている。昭和51年12月、公明党から衆議院議員に連続5回当
選し、平成2年1月に引退した。
 自由民権運動の研究家で「議会政治の故郷は土佐だ。国会を大
事にすべし」というのが口癖であった。坂本龍馬を愛し「国会に
龍馬を記念するものが無いのはいかん!」と言い出し、私に「銅
像を寄付するから設置場所を考えろ!」と指示して困ったことが
あった。昭和61年8月、原健三郎衆議院議長に要望し、衆議院
議長公邸に設置し、贈呈式を行った。私にとっては縁の深い想い
出の政治家であった。
 昭和60年6月25日の議院運営委員会で「スパイ防止法案」
の継続審査反対の意見の要点を掲載しておく。

〇平石委員 私は、公明党・国民会議を代表いたしまして、国家
秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案の継続について反
対の意見を申し上げます。
 まず、わが国の平和憲法の立場から考えた時に、この法案はま
さに憲法上疑惑のある法案である。従って、恒久平和をうたった
わが国の平和憲法上、さらに人権尊重主義の立場から考えてこの
法案は大変な疑義をもつ重要な法案だということで、私どもはこ
の法案には反対であります。
 それともう一つ、国家秘密の件でありますが、秘密とは一体何
かという概念が明らかにされておりません。この国家秘密につき
ましては政府・行政に全く白紙委任という形でこれを委ねるわけ
にはまいりません。そういう立場から、秘密の概念の不明なもの、
これを継続案件とするわけにはまいりません。もう一つ申し上げ
たいことは、この処刑が、極刑として死刑がうたわれておること
です。人権尊重をうたっている憲法の上から申し、これについて
死刑という極刑を行うことについては、まさに横暴と言わなくて
はなりません。そういう立場から反対です。

(「新聞の葬式」を参考に「国会の葬式」を!)
 もし『特定秘密保護法案』が参議院で可決し成立した場合、ど
のような対応をすべきか、「日本一新の会」としては『国会の葬
式』を企画している。これは明治15年(1882)に高知で行
われた『新聞の葬式』を参考とするものである。
『新聞の葬式』とは、明治政府は自由民権運動を抑え込むために
「集会条例」や「新聞紙条例」など、さまざまな弾圧法令を発し
ていた。「高知新聞」は五度にわたって発行停止処分を受けてい
たが、明治15年7月14日、ついに発行禁止となった。
 民権派は同月16日、抗議のため「高知新聞葬」「高知新聞臨
終」の広告を掲載して、仏式で新聞の葬式を挙行し、会葬者は、
5000人を超えた。代わりに発行された「高知自由新聞」も葬
式後一週間で発行禁止になり、再び葬式を行うなど「新聞の葬式」
が続いた。

 ここ数年、日本の国会は、まず最高裁の「1票の格差違憲判決」
にもかかわらず、その是正を怠り、「違憲・偽装議員」で構成さ
れている。与野党とも国会を冒涜する行為を続け、さらに憲法以
前の、国や社会の摂理や常道に反する『特定秘密保護法』を成立
させることは「国会の自殺」である。その葬式を通じて、「国会
の再生」運動のスタートにしたいものである。
 その節には、会員各位のご協力を切にお願いしたい。

 11月29日(金)の石破自民党幹事長の「デモ・テロ発言」
問題は、正気であったなら議員辞職すべき問題だ。
 しかし、「特定秘密保護法案」を廃案にするための政治的ブロ
グ発言と私は理解したい。だとすれば、皮肉ではなく、勇気ある
議会政治家である。