3月、世界連邦宣言都市を日本で最初に行った京都府綾部市の支部に呼ばれて講演した。高知支部、次いで四国ブロックでの大会宣言に盛り込んだ「尖閣諸島を東アジア共同体に移管せよ」というわれわれの主張を述べたところ、「非国民」呼ばわりされ、少々ショックを受けた。
 もともと戦後の日本人に「非国民たれ」と言い出したのは世界連邦運動の尾崎行雄・初代会長である。昔の人はすごいことを平然と言ってのけた。尾崎行雄は、有為の武士たちが脱藩して近代日本をつくったのだから、同じことを地球規模でやればいいと言った。その有為の武士たちによる脱藩という行為こそが「非国民」ということになる。
 小生はもともと青年の多感な時期をアパルトヘイト盛んなりし南アフリカで過ごした。その時の経験が小生の人生観をずっと支配してきた。法律で有色人種を差別し隔離する政策がこの地球上に存在したことに理不尽を感じた。荒っぽい言葉でいえば、白人に対する対抗意識がめらめらと湧き起きたのである。
 明治維新以降、日本が歩んだ道は軍拡に次ぐ軍拡だった。日清戦争で台湾を領有したことをきっかけに日露戦争で朝鮮半島の支配権を世界に認めさせ、第一次大戦ではドイツから青島など山東半島の利権を手中にし広大な南洋群島も配下に置いた。さらに南満州鉄道の経営権を得て満州全体に支配権を拡大して華北に軍を進めた。
 明治維新以降、不平等条約の解消が国策となった日本はいつの間にか、西洋にならってアジア支配に乗り出したことは紛れもない歴史的事実である。西洋諸国からアジアを守ることは確かに必要だっただろう。日本という国家が列強の一員にならなかったら、アジアはいまだに西洋の植民地のままだったかもしれない。確かにそんな思いが頭の中を大きく支配した時期もあった。
 一方で、アジア諸国が日本の後を追って豊かにならなければならないという理想論も同時に持ち合わせていた。1980年代以降、アジア経済がテイクオフし、次々と途上国の汚名を返上していく姿には感動すら覚えた。日本が存在しなくともアジアは自律的に経済的自立を図れるのだ。そう考えると日本はすでにアジアの歴史で一定の役割を果たしたことになる。
 残念なことに、アジア諸国の経済的自立の後にやってきたのは、ナショナリズムの台頭だった。尖閣諸島だけではない。日本海の竹島、南シナ海の南沙諸島、西沙諸島の領有権問題がアジアの安全保障を揺るがす大きな問題となっているのである。
 世界連邦を目指すわれわれが今、考えなければならないのはアジアに台頭した「主権」という問題にどう対処するかという問題である。多くのアジア諸国は多民族を抱える国家である。国境の向こうに同じ民族が住んでいるのが当たり前の状況である。国境がなければ、互いに平和裏に行き来できる関係であったのに、国境が利権となって互いに角を突き合わせなければならなくなった。国家を声高に叫ばなければ「非国民」といわれる時代になってしまった。
 地球上に国境という概念が確定したのは近代以降の話である。ナポレオン戦争後のウィーン会議がヨーロッパに国境という概念をもたらしたといわれる。まさに200年になろうとしている国境という概念に21世紀に生きるわれわれは新たな挑戦を強いられているのである。本来、日本など取り戻さなくていいのかもしれない。日本や中国や韓国などという概念を意識しない地球市民がすでに多く誕生している。普通の人たちの思考に政治はもっともっと近付かなければならない。年度初めに思う所感である。(伴 武澄)