『村づくりは、人づくりから』鎌倉寛光さん オーベルジュ土佐山

オーベルジュ土佐山は、 少子化・高齢化・過疎化 という 課題への直面をきっかけに、地域を活気溢れるようにしたいという、住民たちの強い想いから生まれました。地域の中心人物でもある、鎌倉寛光さんにお話をお聞きしました。

—— 今日は秋の収穫でお忙しい中、お昼休みの時間にどうもありがとうございます。 まず、鎌倉さんの生まれや育ちについてお聞きしていいですか?

鎌倉 生まれは日本国内 (笑)。 今いるのと同じ、土佐山中切地区生まれ。当時は中学卒業後、高校に進学したのは50人中5人ぐらい。自分は、どっか出て行きたかったけれど、親が百姓せん といかんとも言うてきていたし、百姓するならと、帰全農場(全寮制の農業研修をする場所)へ行った。

—— 帰全農場に入ろうと思ったきっかけは、何だったのですか?

鎌倉 外へ出たら、土佐山に帰らなくても、 どっかへ行けると思ったわけ。一つのステップとして。けれど、そこで習った先生の影響で、逆に帰って百姓せないかんと思った(笑)。

失敗しても、恐れることはない。

—— それは、どんな影響だったのでしょうか?

鎌倉 「ひと」やね。「ひとづくり」が厳しかったきね。
土佐山に帰って、青年団の活動や農協関係とか始めたら、出るに出れなくなった(笑)。色々やっているうちに、村の議員も20年間勤めた。そんな中、小学校の統廃合があって「何とか地域を活気溢れるようにしたい」と、地域づくり団体「中川をよくする会*」を立ち上げた。みんなが同じ夢に向かっていたね。**

* 「中川」とは、オーベルジュ土佐山のある集落、中切、久万川、東川地区の総称。
** 10年の歳月と何十回ものワークショップを重ね、地元の資源を活用し、
地域の振興をはかる集落経営構想により生まれたのが『オーベルジュ土佐山』です。

鎌倉 何もない、裸の状態で始めたし「失敗しても、恐れることはない」という思いでしたね。この地域は、思い付いたらすぐに行動に移す。待っていたら、コトは進まない。「中川をよくする会」は、地域全体がチームであって、会員名簿はない。多くの仲間があって出来るのであって、一人では出来ない。そして、庭先 に1本の花を植えるとか、ゴミを拾うとか、一人一人の意識が「地域づくり」の参加です。

土佐山地域の一番の個性は、人づくり。

—— 地域のみなさんの想いから、オーベルジュ土佐山が生まれたという背景を聞いたとき、とても驚きました。地域の団結力を感じます。これから次の世代にも繋げていくためには、どうしたらいいでしょうか?

鎌倉 あまり背伸びしてもいかないし。地道にみんなで。地域の個性を活かしながら、生き残っていくのが良いとおもう。

—— 土佐山地域の個性は何でしょうか?

鎌倉 一番の個性は『人づくり』やね。 やっぱりなんと言っても
「 “村づくり” は、”人づくり” から」。元の村長のモットーやったきね。
海外研修や、大分県大山町で民泊しての研修もやったし。その当時はめずらしかったきね。

—— 海外研修もやってたんですか?!

鎌倉 自分は行かなかったけれど、5年続けてやりました。スイスやインドやドイツ等、延べ50人ば行ったかね。

—— その時代ですごいですね。。

鎌倉 これからは時代に合った、地域の残り方や手段を考えないといかない。ただ手段さえも考えなくなったらいかん。 無関心になったらダメですね。

—— 本当にそうですよね。成功の反対は、失敗ではなく、無関心だと言います。何もしなければ、何も起こらない。ガンジーの言葉にもありますね。「世界に変化を望むのであれば、みずからが変化となれ」と。そうしなければ、決して変化は実現しない。

—— 最後に、日々の 暮らしの中で、幸せを感じるのはどういう時でしょうか?

鎌倉 景観がキレイになるとか、成果によって人が喜んでくれたり、イベントの時には多くの方が地域を訪れてくれるとか、お互いに歓びが広がる時ですね。

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< お話をうかがった人 >
鎌倉 寛光(かまくら ひろみつ)
1941 年高知市土佐山中切地区生まれ。有限会社 中川開発/直売所 とんとんのお店 代表。土佐山村議員を20年に渡り勤めた。オーベルジュ土佐山の目の前にある「とんとんのお店」にお昼時に伺うと、素敵な笑顔で出迎えてくれるかも。好き なことは、地域が元気で地元の食材で料理した食事をみんなで楽しむ時。