新聞が発生したのはなぜか、考えている。初期の新聞は当然ながら政治新聞だった。権力に対して異論をとなえるのが新聞の役割だった。横暴な権力に対して新聞が辛辣な批評を加えるたびに、市民は溜飲を下げたのだった。民主主義が台頭して、新聞の役割はますます大きなものになった。
 だからメディアが反権力なのは当然なのである。反権力でない新聞は誰も見向きもしなくなる。明治時代に政治新聞が発展して、権力側のスキャンダルが掲載されるようになり、ますます市民の新聞に対する期待は大きくなった。その象徴が黒岩涙香の萬朝報だった。
だが、戦争という特殊な状況になると新聞の役割は一転する。自国の勝ち負けがかかる時代になると、好戦的な新聞が人気を博するようになる。関西のスポーツ紙が負けても阪神タイガースの記事を一面に載せるのと似た状況になってしまう。 萬朝報はその点で大きな間違いを犯すことになる。日露戦争の開戦が迫り、好戦的な記事を掲載する新聞が発行部数を増やし始め、東京で発行部数トップだった萬 朝報は急激に発行部数を落としていった。論説を書いていた内村鑑三や幸徳秋水が反戦の論調を強めていたからだった。社長の黒岩涙香はある日、独断で内村ら の記事の掲載をやめて反戦論調を180度転換した。当然ながら、内村らは萬朝報を辞してしまう。論調を変えたことによって発行部数の回復を狙ったのだった が、部数はその後、回復することなく萬朝報はその他の新聞になってしまった。
 僕 が大学卒業後、メディアの世界に入ったことに父親はあまり嬉しくなかったようだった。「新聞は政府の悪口ばかりを書き立てる。たまには政府のことをほめて やってもいいじゃないか」とよく言っていた。僕もそう思っていたが、しばらくすると違うのではないかと思うようになった。
 メ ディアは市民のエンターテインメントのひとつではないかと考えるようになった。もちろん権力の横暴に対抗しなければならないという使命感もあったが、観察 していると、実はメディアは読者に迎合する傾向が多分にあるのではないかと考え始めた。その典型がスポーツ紙に現れている。読者が新聞を読むのはある意味 「憂さ晴らし」のひとつではだろうかということである。
 読者は新聞を読んで「そうだ、そうだ」と同感したいのである。だから平和時には権力をたたく新聞に溜飲を下げ、戦争時には好戦的な新聞記事にある種の快感を抱くのである。
長い記者生活を通じて、役人や企業家など取材先から「新聞がもっと正論を書いて下さいよ」など、どれほどメディアに対する期待感を求められたか、知らない。実はこの人たちもまた記事を読んで溜飲を下げたいのである。
 ただ役人や企業家は恵まれた地位にある人たちである。「溜飲を下げる」という表現は恵まれた人たちより、どちらかといえば、普段虐げられている人たちのためにあるのだと思っている。この人たちが溜飲を下げる記事は決して、多くの新聞読者の快感を抱く記事とならないのである。
 その昔、企業に広報という部門がなかった時代があった。ひどいところは広告部の中に広報があったりした。広告と広報の違いも分からずに記者に対応していたのである。かつての共産党の赤旗や創価学会の聖教新聞は正しくは新聞ではない。広告紙である。広告紙と新聞の違いはどっちに向いているかの違いである。
 安倍政権になって、権力のメディアに対する露骨な圧力が強まっているといわれている。新聞が政府の広告紙になるのだったら、新聞はいらない。不必要というこ とになる。読者がわざわざお金を払って購読する価値はなくなる。だからと言って、新聞がいつも正義だとは限らない。すでに述べたように読者におもねるエン ターテインメントを割り切れば、わかりやすいとおもうのだが。