他国を譏らない愛国でありたい
昨夜は高知市のはりまや橋商店街の空き店舗でで夜学会を開催し、「高知から見る東アジア」と題して講演した。参加者は15人ほどだったが、道行く人がガラス越しに「何をしているのだろうか」といった風情でのぞき込んでいた。高知から133年に夜学会が復活した記念すべき夜となった。
その前の夜に飲み屋で出会った地元新聞の記者に「明日、夜学会をやるんだ」と話したら、「それは面白い、ぜひ参加させてもらいます」との返事だった。かつての自分を含めて記者などという稼業は口先稼業で信頼がおけないのだが、くだんの記者はちゃんと時間前にやって来て取材を始めたから、逆に困った。
夜学会を発足させるのにいきさつも何もなかった。主催者も決めたわけでもない。面白いと思ったことを一週間後に実現させたまでのこと。口コミでそんな試みが広がったら・・・。そんな思いだけがあった。
今日の講演というか話は、自分の南アフリカでの経験から語り、最近の日中間でとめどもなく広がるそしり合戦をなんとかやめなければいけない。多少は兄貴格の日本が自重すべきだという論調だった。
高知新聞が24日夕刊で取り上げてくれた。
高知市に市民有志の学びの場「夜学会」復活 自由民権運動の原動力
明治時代に地域住民が集まって社会の在り方を議論した「夜学会」が現代の高知市に復活した。市民有志が主催し、1月23日夜は元共同通信記者の伴武澄さん(63)=高知市=が講演。参加者は日本とアジアの関係について考えた。今後も1週間に1回をめどに開催する予定。
夜学会は明治期、高知県内各地で開かれ、住民たちが自由民権思想を学ぶ自主学習サークルの役割を果たし、自由民権運動の熱を高める原動力となった。
おしまいに、2006年に僕が書いたコラム「他国を譏らない愛国でありたい」について話した。
以下にその時のコラムを再掲する。
司馬遼太郎さ んの小説『菜の花の沖』を読んでいてなるほどと思わせる一節があった。19世紀、日本がまだ開国に到らない時期、淡路島の水夫から身を起こし、蝦夷地と上 方とを結ぶ大回船問屋に発展させた高田屋嘉兵衛の一生を描いた小説で、愛国心ということについて語っている。
「愛郷心や愛国心は、村民であり国民である者のたれもがもっている自然の感情である。その感情は揮発油のように可燃性の高いもので、平素は眠っている。それに対してことさら火をつけようと扇動するひとびとは国を危うくする」
なにやら昨今の日中韓でのいがみあいに似てはいないだろうか。そのむかし筆者も日本ほど愛国心の足りない国民はいないのではないかと嘆いたことがある。 だが、このところ台頭している”愛国”的言動についてはちょっと待てと言いたい。司馬さんが書いているように「ことさら火をつけようと」しているような気 がしてならないからだ。
司馬さんは小説の中で主人公の嘉兵衛に「他の国を譏(そし)らないのが上国だ」とも言わせている。なかなか含蓄がある。中韓が日本を譏り、そして日本が中韓を譏る。そんな構造が生まれている。
靖国参拝問題で小泉純一郎首相が偉いと思っていたのは、これまで中韓の批判に対してほとんど何も言わなかったことだった。他国の批判を無視することはなかなか難しい。腹も立つこともあるだろうに、じっと我慢しているのだろうなと考えていた。
ところが、つい最近になって小泉首相は中韓の批判にまともに反応するようになった。4日の年頭会見で「外国政府が心の問題にまで介入して外交問題にしようとする姿勢が理解できない」と語ったのだ。
朝日新聞はよく5日朝刊の社説で「私たちこそ理解できぬ」と首相発言を問題視した。それに対して産経新聞がさらにかみついた。朝日が「全国の新聞のほと んどが参拝をやめるよう求めている」と書いたことに対して産経抄は「読み返すほどに身震いがくるような内容」と怒りをあらわにした。「『全国の新聞 が………』というのは誤植ではないかと何度も読み返した」「『私たち』とは誰なのか」とほとんど煮えくり返る思いのたけをコラムのたたきつけた。
どっちもどっちだ。中韓におもねるほど非国民にはなりたくはないが、だからといってこんなことで愛国心に火をつけられてはかなわない。期待として日本はアジアの「上国」でありたい。
もちろん「上」は上下の上ではない。品性といった意味合いである。